まだ夜が明けきっていない5時少し過ぎ、お目当てのうどん屋さんが見える角で歩みを止めた。
人の気配がしなかった前日と違い、お店に灯がともっている。
ドキドキしながら、汁のいい香りが漂っている店内へ。
開店早々というのに、すでに3人の先客がいた。ひとつお願いしますとお店の方に頼み、テーブルに着く。
吉村さんの文章によると常連客は自分でうどんを茹でたりするようだが、そのような方はいなかった。みなさん黙々とうどんを啜っている。
しかし、食べ終えた器を調理場の流しに置いて出ていくので、私もそれに倣おうと決める。
ほどなくうどんが運ばれてきた。

かき揚げ、じゃこ天、カマボコが乗っている。
ひとくち汁を啜って、ここでもいりこダシだ、とうれしくなる。「汁が絶妙にうまい」と吉村さんは書いているが、本当にその通りだ。旨い。
麺はさほどコシが強いわけでないが、この汁にぴったりだと思う。そして、じゃこ天とかまぼこというご当地ものの具がまたうどんに合う。かき揚げの中身は小海老で、プリプリとした食感が楽しめた。
途中から、食べ終わるのが惜しいと思った。
器を流しに運び、お勘定をお願いすると380円ですとお店の方。
お代を払ったあと、おずおずと「色紙を撮影してもいいですか」とお伺いしたところ、にこやかに「どうぞどうぞ」。

色紙を求められても固辞するのを常としていた吉村昭が「朝の うどん」と色紙にしたためた経緯は、その名も「朝のうどん」というエッセイをご覧いただきたいが、この滋味あふれる文章を読んで、私はこのうどん屋さんに行ってみたいと思ったのである。
吉村さんが書いているように、色紙は小型で、壁に付いて稼働していた扇風機よりもこじんまりしたものだった。想像していた以上に、小ぶりなものだった。
うどんを味わえただけでなく、色紙を見ることもでき、私はすっかり腹も心も満ち足りて、小川に沿っている道を歩いてホテルに戻った。宇和島に来たかいがあった、と思った。
再び寝間着に着替え、文庫本を取り出し「朝のうどん」を読み返した。
朝、あわただしくうどんを食べる客たちは、たとえ私の小色紙が壁にかけられていても眼をむけることはないだろう。
(吉村昭「朝のうどん」/『わたしの普段着』所収)
いえいえ、私はしっかり見ましたよ、それから、お書きになっていた通り、400円でお釣りが来ましたよ、とひとりごちた。
胃に落ちたうどんで身体が温かくなったこともあり、もうひと眠りに入るのは、楽だった。
目が覚めたのは10時半近く。
慌てて身支度を整え、荷物をまとめてチェックアウト。
ホテルを出て向かったのは、昨夜に続き、再び「ほづみ亭」。11時からのランチタイムである。
お目当ては「さつま汁」。定食(1000円)があったのでそれを注文した。

とろろのように見えるのが、さつま汁である。
白身の魚を焼いて身をほぐし、辛子味噌をまぜて擂り鉢ですり、薬味を入れて麦飯にかけて食べる。とろろ飯と外観は似ているが、ことのほかうまい。市内にはさつま汁を食べさせる店がいくつもあり、宇和島に行くたびに必ず食べる。
(吉村昭「宇和島への旅」/『旅行鞄のなか』所収)
画像で、さつま汁の上に見える薬味を投入し、かきまぜてお櫃から盛ったご飯(「ほづみ亭」は麦飯ではなかった)にかける。

これが、確かに「ことのほか」美味だった。魚と焼き味噌がかすかに香る、粘り気がまったくない汁をかけたご飯の美味しさといったら!齧ると舌に清新の気を蘇らせる薬味も相まって、何杯でもご飯がいただけるような気がした。
そして「鯛めし」同様、ご飯おかわり自由である。
これで、蛸と大根の煮物、お新香、ちりめんじゃこのお吸い物もついて1000円なのだから安すぎる。
宇和島に来たならば、一食一食おろそかにはできない。
(吉村昭「宇和島への旅」)
その通りです。吉村さんの言葉に心からの共感を覚え、朝のうどんよりもゆっくりと、ゆっくりと、さつま汁かけご飯を味わった。
宇和島を出る列車の発車時間まで少しあったので、和霊神社まで足を伸ばした。

正直、宇和島藩のお家騒動に関連するこの神社にさしたる関心はなかった。
が、坂本龍馬(1836-1867)ゆかりの神社と聞けば話は別である。
文久2年3月24日(1862)、竜馬は、新生日本の夜明けを迎えるべく、土佐藩脱藩の決行をするにあたり、坂本家守護神の高知市神田の和霊神社に無事、加護を祈り、水杯をもって、決別の覚悟を秘めた。
ただ、龍馬が脱藩以前に、本社といえる宇和島の和霊神社に参拝したか否かは定かではないという。

宇和島駅に戻り、松山行きの各駅停車を待つ。
目的地の卯之町には特急も停まるのだが、各駅停車でも40分程度。それならば各駅で卯之町へ行き、そこから松山までは特急で戻ると決めていた。

一両編成のローカル線である。この日も暑かったので、冷房が効いている車両が心地よかった。
見回すと、乗客は私を含めて4名だけ。そのうちのひとりが、独特の装束に身を包んだお遍路さん。
ここは四国なのだと、実感した。
12時16分、列車はゆっくりと動き始めた。
卯之町はどんなところなのだろう。車窓から宇和島が去ってゆく。
でも私の中では、寂しい気持ちよりも、未知の町への興味が勝っていた。
【「宇和島へ」了、2019年10月7日6:43】