「ほっ」と。キャンペーン

ジャズ/FC町田ゼルビア/その他


by kreis_kraft
6月24日(日)、FC町田ゼルビアのホームゲームに行ってきた。
a0038908_9295879.jpg
他試合の結果次第では本日優勝決定の可能性もある一戦。
11時30分キックオフの試合、前回観戦したとき以上の観客が集まっている。
a0038908_9354884.jpg
試合開始前、約束通り娘に、オフィシャルフラッグを買ってやる。喜んでぶんぶん振り回すので、肝心なときだけにしなさいと、客席にてやんわり注意。

*

さて肝心の試合だが、0-0のドロー。
試合後の酒井主将の挨拶にもあったが、10連勝で優勝など、やはりそんなに甘くない。
8番石堂選手の絶妙なループシュートなど、ところどころに見せ場はあったが、簡単にボールを失い、逆に攻め込まれる危ない場面もあり、肝を冷やした。
でも、選手も人間、こんな試合もたまにはあるだろう。

これでリーグ戦は、全国社会人サッカー選手権大会関東予選のため、7月22日までしばらく中断という。
すぐに切り替えて、安定したパフォーマンスを見せてもらいたいと願うのみ。


前回は荒天で中止となった、試合後の「ふれあいサッカー広場2007」は小雨の中おこなわれた。
ちびっ子たちを前に説明をする「ミスターゼルビア」竹中選手。
a0038908_9522561.jpg
(画像では怖そうだが、誤解なきよう申し上げておきたい。近くで拝見する竹中選手、ニコニコと笑みを絶やさぬ、元気で優しいお兄さんといった感じの方だった)
a0038908_1035249.jpg
あいにくの小雨交じりの天気であったが、ちびっ子たちには忘れえぬ経験になるだろう。
改めて、90分ピッチを走り回ったあと、子供たちを指導する選手の皆様に、敬意を表したい気になった。

*

自宅に戻ってきて一休みしたあと、試合会場で頂戴してきたパンフレットを読み返してみた。
a0038908_10104979.jpg
これを読んで私は初めて、町田がJリーガー輩出数が清水市に次いで2位と、非常に多くのプロ選手を輩出していることを知り、驚いた。
多いとは聞いていたが、まさか2位とは!

以下、パンフレット冒頭の、運動の趣旨を説明している箇所をそのまま引用させていただく。

しかし、中学、高校と年代が上がると、レベルの高い子ども達が他地域の強豪チームへと流れてしまっているというのが、悲しい実情です。
「サッカーの町・町田」に、トップチーム(プロ)を作り、子ども達は、そのチームに入る事を目標に、生まれ育った町田に残ってプレイをする。地元への愛着と、町田の活性化の為にも、ゼルビアには、それを成し遂げる使命があります。
私達は、スポーツを通じて、町田をより明るい町へと導く為に、一生懸命頑張ります!どうか温かい御支援・御声援をお願い致します。
そして、皆様も一緒に、町田にJリーグクラブを作りましょう!
私は、「町田にJリーグクラブを作ろう!」に心から賛同する。
この土日にでも、サポートクラブ会員申し込みをするつもりだ。

関心を持たれた方は、「FC町田ゼルビアホームページ」、ぜひご覧になって下さい!
[PR]
# by kreis_kraft | 2007-06-26 10:34 | FC町田ゼルビア
6月17日娘と、JR・横浜市営地下鉄と乗り継ぎ、三ツ沢陸上競技場へ行ってきた。
もちろん、FC町田ゼルビアのアウェイでの戦いをサポートするため!

三ツ沢上町駅から三ツ沢公園まで歩いて12,3分といったところ、だったか。
FC横浜のホームスタジアム「三ツ沢球技場」が敷地内にあるのだから相当広い公園だろうと想像していたが、予想以上の広さ。
キックオフの15時まで時間があったので、娘とあちこち散歩。
a0038908_9383827.jpg
対戦相手のチーム名、「NPO横浜スポーツ&カルチャークラブ」を略してYSCC。
1時間前に陸上競技場に入ったのだが、ゼルビアのホーム同様、ユニフォームを着たチビッコたちが目につく。
アウェイではどこに陣取ったらいいのかわからなかったので、ゼルビアのユニフォームを着たサポーターに場所を聞いたところ、どこでもいいんじゃないですかとの答えが返ってきた。
スタンド向い側の芝生席には、ゼルビアサポーターたちがすでに横断幕をセットしていた。

試合前の練習が始まる頃には、だんだんと観客が集まってくる。
半分以上がゼルビアサポーター。心強い。
a0038908_952473.jpg
試合が始まった。
1週間前の試合と違い、なかなか点が入らないジリジリとした展開。
空中戦はほとんど制していたが、なかなかゴールを割るにいたらない。
だから、前半40分ようやく先制したときは、町田から駆けつけたサポーター大喜び。
私も娘と、思わず小躍りして喜ぶ。

しかし後半は風下ということもあって、攻められることもしばしば。そのたび肝を冷やす。
逃げ切ってくれと思わず「集中!」と声が出る。
娘も「しゅうちゅう!」と唱和。

結果は0-1。これで9連勝!
次節24日、ホームで勝ち、2位チームが負け、3位チームが引き分け以下だと、早々と優勝が決まる。
そして、次は秋の全国地域リーグ決勝大会。北海道・東北・関東・東海・北信越・関西・中国・四国・九州の9つの地域リーグを勝ち抜いたクラブによる大会である。
ここで1位、2位の成績を収めれば、JFL(日本フットボールリーグ)に自動昇格。3位ならJFL16位のチームと入れ替え戦に臨むことになる。
最低でも上位3位までに入らないと、JFL昇格の目はなくなる。
関東で図抜けた強さをみせているFC町田ゼルビア、ここが真の正念場ということになるだろう。
勝負は、秋だ。

*

むろん次の試合もサポートに行く。娘も行く気満々。
帰り道、となりのおにいちゃんがもっていたはた、あきちゃんもほしいという。
オフィシャルフラッグを手に応援をしたいというわけだが、むろん買ってあげると約束。


読者諸氏よ。
父の影響を受け、娘も「サポーター」になりつつあります。
[PR]
# by kreis_kraft | 2007-06-19 10:31 | FC町田ゼルビア
6月10日、時おり雷鳴轟く雨の中、娘を連れて応援に行ってきた。
a0038908_9521612.jpg
こんな天気なのだから観客も少ないだろうとタカをくくっていたが、屋根の下になっている席はほぼ満杯。立ち見の方もいる。
a0038908_949723.jpg
Jリーグを目指しているといっても関東1部リーグだし、と心のどこかでFC町田ゼルビアというチームを軽んじていた自分を深く反省。
私と娘の席をかろうじて確保し、目と鼻の先でおこなわれている試合に、集中。

*

FC町田ゼルビア。
詳しくはオフィシャルサイトをご覧になっていただきたいが、2011年のJリーグ加盟を目指している、現在関東1部リーグのサッカークラブである。

私、もっぱら代表やJリーグに関心を寄せてきたが、昨年来多くのサッカーファンと面識を得、地元のチームを応援することの楽しさを嬉しそうに語る彼らに、少なからぬ羨望の念を覚えてきた。
というのも私、そんな「身内」のような情をもってサポートできるクラブが、身近になかったからである。
一時期横浜市に住んでいたことからマリノスや横浜FCの、そして妻の故郷である新潟のアルビレックスの試合結果は、気になる。
しかし、試合のたびごとにスタジアムに駆けつけて声を枯らしたことはないし、これでは到底、胸を張ってサポーターとはいえまい。
「どのチームのサポーターですか?」と訊かれるたび、一応はアルビレックス新潟を挙げていたのだが、そう答えるたび、どこか寂しい気分になったものだった。

それゆえ、つい最近FC町田ゼルビアの存在を知り、私の心はときめいたのだった。
それもこのクラブ、試合終了後のグラウンドでサッカー教室を開いている、というではないか。
試合が終わってへとへとになっている選手たち、さらに元気のありあまっている子供たちに指導をするわけで、それは本当に大変な仕事だと思う。しかし、こうした活動もしているFC町田ゼルビアこそ、サポートするのが真のサッカーファンと言えまいか。

そう思って、私は雨の中、スタジアムに向かったわけである。

*

試合観戦は楽しかった。
鳴らされる太鼓、吹かれるホーンが少ないゆえ、選手同士のぶつかりあう音、荒い息遣いが聞こえるような気がした。
大きなスタジアムでは、こうはいかない。それが、とても新鮮だった。

むろん大きなスタジアムでの、大観衆の応援も迫力があって楽しいが、敵チームへのブーイングがないのも、またいい。
この牧歌的な雰囲気は、サッカーそれ自体の楽しさを倍加させてくれた。

試合は4-0でFC町田ゼルビアの快勝。これで開幕から無傷の8連勝、という。
試合後、これからも応援よろしくお願いしますという選手の挨拶に、大きな拍手。
a0038908_2238841.jpg
さすがにアウェイには出かけられないものの、ホームでの試合はできるだけ応援しに行こうと思う。
すっかり娘もサッカー観戦ならびに出店のホットドックが気に入ったようなので、できれば一緒に。

*

後半開始くらいに雨はあがっていたので、帰りは、楽だった。
たっぷり水を含んだ竹林の中の道を下って、バス停まで歩き、たいして待つことなく来たバスに乗って、帰った。
またこようねおとうさんと繰り返す娘に、そのつど「そうだね」と返事をした。
a0038908_22395853.jpg

[PR]
# by kreis_kraft | 2007-06-12 10:59 | FC町田ゼルビア

追悼・本田竹曠

最初に、おことわりを。
いつから「竹広」と名乗るようになったのかわからないが、私にとっての本田は「竹曠」であって、「竹広」には違和感を覚えてならない。よってこの文章は「竹曠」と表記したいと思う。何一つ他意はないことをあらかじめ明記しておきたい。

* * *

かつて書いたことの繰り返しになるが、本田竹曠というピアニストは、私がジャズに身も心もどっぷりと漬かっていた頃の象徴ともいえる存在だった。

70年代後半、私も、意識が自分の方向しかむいておらず、重い鬱屈を抱え、あれこれ青臭い観念的なことを考えては深みにはまり、かといって現実に対して何をしていいのかわからず、ただ苛立ちばかり持てあましていた若者のひとりだった。一言でいえば「暗い文学青年」だったわけだが(自己弁護ではないが、当時はそんな若いモンは掃いて捨てるほどいたのだ)、私にとってジャズは、そんな閉塞状況を打ち破ってくれるようなものに映った。なにより、譜面通り演奏していないのが、よかった。最低限の決まりごとだけがあって、あとは個々の自由な発想が音楽に盛り込まれるというのが、新鮮だった。

*

そんなわけで、私はすっかりジャズに夢中になってしまったものの、乏しい小遣いでは何枚もレコードを買うことができなかったので、FM放送のジャズ番組は非常にありがたいものだった。ほとんど「エアチェック」して、何度も何度も聴きかえした。FM東京で放送された、故油井正一氏の「アスペクト・イン・ジャズ」など代表的なものだが、あの頃録音したカセットテープが残っていたら、と時おり寂しく思ったりする。

しかし、私が一番悔しく思っているのが、あの「渡辺貞夫マイ・ディア・ライフ」を録音したテープが、手元に一本しか残っていないこと。カセットテープも高校生にとっては結構高価だったから、何度か聞いたらその上に重ねて録音したのだろうと思うが、かえすがえすも残念でならない。なぜならそれは、ただ力任せに思いのたけを鍵盤にぶつけるといった段階を経て、徐々に自己のスタイルを確立させつつあった本田が、当時アフリカに傾倒していた渡辺貞夫との出会いによって、瑞々しくその美質を開花させていった時期と合致するからであり、その意味で73年から78年の「マイ・ディア・ライフ」は、本田の成熟を捉えた貴重なドキュメントと言えるのだ。
(どこかに、あの音源は残っていないだろうか?あったらぜひ聴いてみたいものだが・・・)

*

私は、本田の力強く、どこか土臭く、素朴なピアノが好きだった。飾り気がないアドリブが好きだった。メロディを奏でるというよりも、リズムに乗ってブロックコードを叩きつける演奏が好きだった。
ナベサダのアルトやフルートのソロはもういいから、早く本田のソロにならないかなぁなどと、大御所に失礼なことを考えながら聴いていたことも、しばしば。
あいまいな記憶ではあるが、トロンボーンの福村博が加入しクインテットになるまで、「マイ・ディア・ライフ」での本田のソロ・パートは結構長く、私は音ひとつも聞き逃すまいと、ヘッドフォンを手で強く押さえつけ(深夜0時からの放送だったので、とても大音量では聴けなかった)、番組終了時には、いつも耳が真っ赤になっていたものだった。

当然、レコードは目に付く限り、なけなしの小遣いをつぎ込んで買い求めた。trioからリーダーアルバムが1,500円という廉価で出ていることに狂喜し、すべて揃えて、繰り返し聴いた。この時期の代表作『ジス・イズ・ホンダ』は別格として、『浄土』『ザ・トリオ』『アイ・ラブ・ユー』の3作は、私が最も好きなピアノトリオという構成ということもあり、何度ターンテーブルに乗ったか、わからない。ことに『アイ・ラブ・ユー』のアルバムタイトルになった、軽快にスィングする「アイ・ラブ・ユー」、ブルース弾きの本領を十二分に発揮した「エマージェンシー」(『ザ・トリオ』)はどのくらい聴いたことか。

本田がサイドマンとして参加しているアルバムもほとんど持っているので、この時期の渡辺貞夫のレコードも、手元にある。特にモントルー・ジャズ・フェスティバルでの演奏を収めた『スイス・エア』のB面のソロには唸らされた。本田は当地で絶賛されたというが、それももっともと思える素晴らしい出来。
また、『ムバリ・アフリカ』(2枚組)の2枚目のB面に収められている「ハバリ・ヤコ」。東京での「渡辺貞夫リサイタル」を記録したものだが、よほど体調が良かったのだろう、ノリにノッた本田のピアノに、つい踊りだしたくなってしまう。

*

こうして書いている間も、頭の中で本田のピアノが鳴っている。
そして、自然に彼のアドリブが口をついて、出てくる。
本田竹曠が生み出した音が、もはや私の血肉になっている証だろう。

私はピアノを弾くことはできない。
が、本田のピアノが雄弁に伝えてくる、生の鼓動、パルスというべきものを、俺は自分の文章に満たすんだと、気負いと共に心に決めた10代の初心を、私は絶対に忘れない。

* * *

ビートルズの曲を弾いても、スタンダードを弾いても、ブルースを弾いても、そして唱歌を弾いても、そこには必ず、あなたの息遣いが感じられました。
でも、私はあなたの忠実なファンではなかったと思います。渡辺貞夫のもとを離れ、「ネイティブ・サン」で人気を博すことになった時期は、当時のフュージョンブームに乗ったものとしか思えず、あなたまで流行を追うのかと冷たい目で見たりしていました。
『バック・オン・マイ・フィンガーズ』でアコースティックに戻ってきても、70年代の凄味が消えたなどと、軽口を叩いていた私は、本当のあなたのファンでなかったのかもしれません。

でも、あなたは、やりたいことを、やりたいときに、やったまで。あなたはジャズの自由を体現していたと、齢を重ねて私も、ようやくわかるようになった・・・その矢先の死が惜しまれてなりません。
私はちょうど2年前、「今なら『ネイティブ・サン』の諸作も、心から楽しめるような気がする」と書きました。今度どこかで見つけたら、聴きなおしてみたいと思ってます。

60歳という享年、早すぎて言葉もありません。
でも、幸いに私たちは、あなたの残したアルバムを、繰り返し聴くことができる。その意味であなたは決して死んではいない。
コンサート会場で、小さなライブハウスで、その時その場で生み出されたあなたの音に接する機会が永遠になくなったことは大きな悲しみですが、あなたが心血を注いでつむぎだした音、そして聴き手に喚起した想念は、ずっと残っていく。
いつまでも。

心から、ご冥福をお祈りします。



【追記】
本田竹広公式サイト」の掲示板によると、「追悼コンサート」の企画が進んでいるようです。
また、「jjazz.net」において、2月26日まで"温故知新~本田竹広スペシャル"が試聴できるとのこと。詳しくは掲示板をご覧下さい。
なお、当番組にて、私が触れた「アイ・ラブ・ユー」がプログラムに入っています。ぜひ御一聴を!


【さらに追記】
「YouTube」に本田さんの動画がいくつかUPされていますので、ひとつ貼り付けておきます。
私の好きな「朝日のようにさわやかに」。途中からというのが残念ですが、ありし日の本田さんの強靭なピアノ、聴きかえすだけでなく、見ることができるのは本当に幸せなことです。(2008年9月24日記)

[PR]
# by kreis_kraft | 2006-02-02 00:54 | ジャズ