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ジャズ/FC町田ゼルビア/その他


by kreis_kraft
11月に入り、徐々に22日開幕の「全国地域リーグ決勝大会」への意識が高まる中、とんでもないニュースが飛び込んできた。

松本山雅が全国決勝大会へ繰り上がり

 サッカーの第32回全国地域リーグ決勝大会(22日開幕)に出場が決まっていたNECトーキン(宮城)が出場を辞退したため、代わって松本山雅FCに同大会出場権が与えられることが3日、分かった。手続きを経た上で正式に決まる。
 上位チームがJFLに昇格できる決勝大会は、全国9地区ごとの地域リーグで出場権を得たAC長野パルセイロを含む12チームと全国社会人選手権で2、3位になり権利を得たNECトーキン、ホンダロック(宮崎)の2チームなど計16チームが参加予定だった。
(「信毎web」長野県内のニュース・11月4日09時25分更新)
NECトーキンは、「全国地域リーグ決勝大会」(以下「地域決勝」)に先立って行われた「全国社会人選手権」(10月18日~22日、以下「全社」)で準優勝の成績を収め、「地域決勝」の出場権を得たチームである。
東北地域リーグでは優勝したグルージャ盛岡から勝ち点1差の2位に甘んじ、すんなりと「地域決勝」の出場枠を手にすることができなかったものの、「全社」で上記の好成績を挙げ、JFL昇格を争う舞台に這い上がってきたのである。

それが、突然の出場辞退である。
公式サイトに辞退理由等アップされていないので、憶測でモノを言うのは自重したいが、会社の業績悪化に伴うチーム解散、というのが現段階での大方の見解である。

NECトーキン、3期連続最終赤字へ

 NECトーキンは22日、2009年3月期の通期業績予想を下方修正した。5月の予想と比べ売上高は120億円減の1140億円、経常利益は17億円減の3億円、純損益は5億円の黒字から13億円の赤字に転落すると見込んだ。最終赤字は3期連続となる。

 同社は、売り上げが予想を下回る理由について米国発の金融危機などから「消費マインドが冷え込み、携帯電話や家電、自動車などの市場が予想以上に落ち込んでいる」と説明。「先行きも不透明で、受注回復は見込めない」と言う。

 減益は、減収要因に加え製品価格の下落が予想を上回って進んでいることなどを挙げている。
「河北新報」宮城のニュース・2008年10月23日木曜日
しかしなぜこの時期に、と私は思う。
そしてNECトーキンの選手たちが、不憫でならない。
「地域決勝」まで1ヶ月を切り、連休中も練習に励んでいた彼らにとって寝耳に水の知らせであったことは想像に難くない。
今、選手たちはどんな気持ちで、連休明けの職場にいるのだろう。そう考えると、涙が出てくる。

*

NECトーキンに、かつてFC町田ゼルビアに所属した選手がいる。
濱田淳。
ゼルビアでは26番、トーキンでは15番を背負ってプレーした選手である。
娘と観に行った今年1月13日の「サッカーフェスティバル2008 in MACHIDA」の試合で2得点を挙げ、今季の活躍が期待された濱田選手だったが、その1ヵ月後「1年間という短い間でしたがFC町田ゼルビアでプレー出来たことを嬉しく思います。地元のNECトーキンでまた頑張りたいと思います」とのコメントを残し、ゼルビアを退団した。
(「ゼルビア・フットボールパーク」のエントリ「退団選手発表」もご覧いただきたい)

濱田選手のことを思い出したのは、10月に「全社」のトーナメント表にNECトーキンが載っていたのを見て、である。
ゼルビアが一回戦で敗退したあと、トーキンそして濱田選手に注目していた私、このチームが準決勝に勝って「地域決勝」出場権を獲得した時は、本当に嬉しかった。その準決勝でも、濱田選手がスタメンで出場していたから余計に、である。
だから、1チームしか決勝ラウンドに進出できない「地域決勝・1次ラウンド」では、トーキンがゼルビアと同組にならなければいいなぁとひそかに願ってもいたのである。

それが、どうしてこんなことになるのか。濱田選手、NECトーキンの選手たちの無念いかばかりか。

今はただ、つらく、やるせない気分で一杯である。
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# by kreis_kraft | 2008-11-04 17:51 | FC町田ゼルビア
今年も、「全国地域リーグ決勝大会」が近づいてきた。
16チームが4チーム・4組に分かれ総当りで1次ラウンドを戦い、各組1位が決勝ラウンドに進む。
昨年はここで1~3位になった3チームがJFLに昇格したわけだが、JFLのチーム数の増減などで昇格チーム数が変わったり、入れ替え戦があったりする。
ただ、どんな場合であれ、1位、2位のチームは自動昇格。2位までに入れば、来季からJFLである。

昨年は本当に悲しい思いをした
1次ラウンド初戦の対バンディオンセ神戸(現バンディオンセ加古川)戦の敗戦がすべてだったように思うが、そのバンディオンセ、決勝ラウンドで4位に終わりJFL昇格を紙一重のところで逃している。
楽な試合などひとつもない。そして勝ち点1の差が天国へ行くか地獄へ行くかを分けることになる、本当に過酷な大会なのだ。

バンディオンセが、その後本拠地を神戸から加古川に移した経緯については寡聞にして知らないが、この結果を受けて、スポンサー側になんらかのアクションがあったことは想像に難くない。
その意味で、今季から戸塚監督を迎え、プロ契約選手を抱えるようになったFC町田ゼルビアの今後を左右する大会になるのは間違いないだろう。

*

昨年同様、どのチームと1次ラウンド突破を争うのか気になっていたが、10月27日(月)日程が発表された。
我らがゼルビア、Dグループに入った。
決勝ラウンドに進むことができるのは、先に述べた通り、成績最上位の1チームだけである。

11/22(土) vs佐川急便中国サッカー部(11:00~)
11/23(日) vsノルブリッツ北海道(13:15~)
11/24(月) vs矢崎バレンテ(13:15~)

(会場は3試合とも、鳥取市「コカ・コーラウエストスポーツパーク)

この組み合わせについては、他の組と比べて比較的楽と目されているが、「全社」での1回戦敗退の屈辱を舐めたイレブンなら、そんなうわついた気分になることはないだろう。そして全試合、相手を叩きのめす気迫で臨んでくれることだろう。

まずは第一ラウンド通過、である。去年以上の重圧の中試合に臨む選手たちの健闘を、そして結果を出してくれることを、サポーターのひとりとして、念じるだけである。
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# by kreis_kraft | 2008-10-28 10:03 | FC町田ゼルビア
「ソロ&ミックス・ダイナマイト・トリオ+1」のステージ終了後も関内大ホールに留まり、「板橋文夫オーケストラ」の開演を待つのは、昨年と同じ。


しかし今年は、インターバル30分の間、九州から板橋さんの演奏を聴きにいらしたのほほんさんと初対面を果たし、しばしロビーでジャズ談義。
のほほんさん、穏やかな語り口が実に印象的な方。かれこれ30年近く板橋さんの演奏に魅せられて来た者同士、初の対面にもかかわらず話題尽きず。

数年前、当時板橋さんのサイトに設けられていた掲示板で、ファンがディスコグラフィーを作成する気運が生まれた時期、私には珍しく、積極的にデータを書き込んでいたことがあったのだが、その時使っていたハンドルを申し上げたところ、ああ、●●さんでしたかと覚えていて下さって、嬉しかった。

残念ながら夜にご予定があるとのことで、終演後に一杯というわけにはいかなかったが、ぜひこちらにお出向きの際は、よろしくお願いしますね!>のほほんさん

*

板橋文夫オーケストラの演奏、19時スタート。

舞台に向かって前列左から、太田恵資(vln)、板橋文夫(p)、村井祐児(cl)、林栄一(as)、片山広明(ts)、中秀仁(b.cl)、田村夏樹(tp)、福村博(tb)と並び、少し下がった位置に井野信義(b)、小山彰太(ds)、外山明(per)。
(片山さんのblog「LIVE & DRIVE 日記」に、当日のエントリ&画像があるのでご参照下さい!)

観るのも聴くのも初めてで少々うろたえた昨年と違って、このオーケストラの「流儀」といったものを知った今年のステージ、昨年披露された曲が何曲も演奏されたこともあり、私は終始落ち着いた気分で、彼らの熱演を受けとめることができたように思う。
相変わらず板橋さんはエネルギッシュで、メンバーたちと作り出す音楽は、聴き手の血を熱くさせる。
それをいっそう煽るのが、言わずとしれた板橋さんの演奏スタイルで、ことにバイオリンの太田さんと丁丁発止と渡り合ったパートがあったが、私、知らず知らずのうちに掌にじっとり汗をかいていて、曲が終わったあとの拍手の際、手を叩いても音が出なかった…こんなことは初めて、だった。
新曲では「サイクリング・ブルース」「ピンク・ロック」が印象に残る。特に前者は親しみやすいテーマ、聴いたばかりだというのに、すぐに覚えることができ、嬉しかったものである。

終演20時45分。
時間の関係上アンコールが聴けなかったことが残念だったものの、精神に入念なマッサージを受けたような心地良さ、しばらく継続。
関内駅へ急ぐ途中の夜の冷気が、気持ちよかった。

*

あの夜から、2週間経った。
たびたび、板橋文夫オーケストラの初の吹き込みとなる『WE 11(ウィ・イレブン)』を聴き返しては、12日のステージのことを思い出し、どう当blogに書こうかと考えてきたが、ようやく書き上げることができそうで、ホッとしている。


ただ、ひとつ最後に記しておきたいことがある。
このオーケストラ、さまざまな楽しみ方ができる、優れた創造集団であることは疑いない。
しかし、どんな卓越したグループであれ、年を経るごとに斬新さは失われ、マンネリに陥ることは避けられないことで、作曲の才に恵まれた板橋さんが、次から次へと素晴らしいオリジナルを書き上げたとしても、常に新鮮なパフォーマンスを披露することができるとは限らないと私は思っている。

かすかに感じた不満を書くと、どんな曲も、途中から同じ調子になっているような気がする。
これは、かつて70年代の山下洋輔トリオの演奏を聴いて感じた不満と非常に似ている。「一本調子」と言ったら語弊があるが…

たとえば私は、「ピンク・ロック」のような曲のあとに、しっとりとしたバラードを聴きたい。それも多彩なホーンひとりひとり、そしてピアノとバイオリンが、じっくり聴かせるようなバラードを、である。こういう演奏を一曲ぐらい入れたとしても、板橋オーケストラの価値が下がるわけではないと思うし、聞き手も歓迎だと思うがどうだろう。

そういえば、今年は「フォー・ユー」を聴くことができなかった。
それゆえ、心残りから、上記のように感じたのかもしれない。
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# by kreis_kraft | 2008-10-26 20:47 | ジャズ
ひとり舞台に現れ、挨拶を終えたあと、「まずはソロでビートルズナンバーを」と板橋さんがボソッと口にしたとき、私の心臓がトクンと、鳴った。

ピアノに向き合うなり、静まり返ったホール中に、板橋さんの、骨太の音が響きわたる。
フォルテとピアニシモの間を激しく、そして悠然と行き来するソロピアノ。
そして、ふと、「ヘイ・ジュード」のフレーズがひそやかに流れ出てきた瞬間、私の胸はある感慨に満たされ、たちまち目に涙が湧いてきた。

*

横濱ジャズプロムナード、関内大ホール、17時30分。
「板橋文夫ソロ&ミックス・ダイナマイト・トリオ+1」のステージの冒頭。
暗闇の中、一条のスポットライトに浮かび上がるのは、ピアノを前にした板橋文夫のみ。

ソロの「ヘイ・ジュード」の間、このひとときを絶対に忘れないようにしようと、私は耳に全神経を集中させ、ピアノを弾きながら激しく動く板橋さんの背中をひたすら凝視していた。

* * *

ビートルズの名曲中の名曲、「ヘイ・ジュード」。
板橋さん、そして板橋さんの人となりを知る者にとって、この曲は特別な意味を持っている。
そう、この曲は、板橋さんがフェイヴァリット・ピアニストとして名を挙げる、故本田竹曠が好んで演奏したナンバーだったのだ。

1970年代、共に渡辺貞夫グループで活躍し、この巨大な存在の薫陶を受けた本田竹曠と板橋文夫、実は国立音楽大学の先輩後輩の間柄。加えて師事したピアノ科の先生も同じである。

その頃(引用者注:国立音大生になった頃)O・ピーターソンのなどのレコードコピーなども少しやっていたが、もっと深くジャズに感銘したのは本田さんのピアノを学校の芸術祭で聴いた時だった。ピアノがこわれんばかりの強力なタッチとそのソウルフルな歌心に圧倒された。それからはもう寝てもさめてもジャズで、先輩の碇さんにバークレーの理論を習ったり、マッコイ・タイナーの『インプレッション』など聴きまくった。
板橋さん自身による『ライズ&シャイン』(コジマ録音 1976年)のライナーノートより引用したが、本田竹曠がいなければ「ジャズピアニスト板橋文夫」の誕生はなかったかもしれない。
4才年上の本田竹曠は板橋さんにとって、まさに、特別な存在だったわけである。


06年3月5日、本田竹曠が亡くなって約2ヵ月後、「追悼コンサート」が行なわれた。
渡辺貞夫をはじめとする数多くのミュージシャンが出演したこのコンサートで、最初のプログラムが、板橋さんのソロ。そして弾いた曲が「ヘイ・ジュード」だったとあとで知り、故人に寄せる板橋さんの敬愛の深さに目頭を熱くし、野暮用があって行けなかったのが、悔やまれてならなかったものである。
文字通り、歯ぎしりする思いだった。

* * *

それからおよそ2年半が過ぎ、聴きたくてたまらなかった「ヘイ・ジュード」を、目の前で板橋さんが、弾いている。
ただ、感無量であった。
この世からいなくなっても、本田さんのスピリットは、板橋さんによって確かに受け継がれている…そんな確信に包まれた、至福のひとときだった。

*

「ヘイ・ジュード」の熱演のあと、井野信義(b)、小山彰太(ds)のおふたりが登場し、「ミックス・ダイナマイト・トリオ」。沖縄の童謡「えんどうの花」が、よかった。
最後に外山明(perc)が加わり、白熱の演奏で終了。

しかし。
率直に言って、私はこのステージ、「ヘイ・ジュード」の衝撃があまりに強すぎて、その後は少々ボーッとしていたかもしれない…

このトリオ+1、ホールではなくどこかのライブハウスで改めて、聴きたいもの。
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# by kreis_kraft | 2008-10-23 22:19 | ジャズ
10月12日(日)はさわやかな好天に恵まれた。
野外で演奏する人たちはさぞかしホッとしたろうと思いながら、身支度を整え、横浜へ。
昨年は桜木町で降り「みなとみらい大ホール」を目指したが、今年は関内まで。
駅から脇目もふらず、まっすぐ「関内ホール」へ。

ホール入口横に人だかりが出来ている。街角ライブだ。やってるやってると嬉しくなる。
大学のジャズ研の学生だろうか、懸命の演奏を2曲ほど聴いたあと、地階の小ホールへ。

開演20分前、約6割ほどの入りである。
前から3列目の席に腰を下ろし舞台を眺めていると、市川さんが出てきてピアノのチェック。
この方が市川秀男なのかと、そのうしろ姿、鍵盤をすべる指先に見入ってしまった。

市川秀男(p)、加藤真一(b)、二本柳守(ds)

1時間のステージで演奏されたのは5曲。アップテンポの最初の曲の、一音一音の粒立ちはっきりしたピアノ演奏に、いきなり背筋がシャキッとなる。
次いで、市川さんのMCをはさんで立て続けに3曲。それぞれ陰翳に富んだ演奏に、「フトコロの深さ」といったものが感じられる。この方、その気になれば、フリーも難なくこなすだろう。
(そういえば市川さんには故富樫雅彦氏との共演盤があるが、これは近いうちに入手し、聴いてみたいと思っている)
加えて、作曲の才も図抜けたものであることを再認識。特に、ベースをフィーチャーした「夏によせて」、美しい情感に溢れた佳曲だと思った。

ジョージ大塚のグループで世に出たのが1966年、すなわち42年のキャリアを持つこの大ベテラン、もっとその名が喧伝され、高い評価を受けていいピアニストだと思う。
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# by kreis_kraft | 2008-10-16 22:57 | ジャズ