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近頃の私の、考えるだけでウキウキすることといったら、なんといっても「横浜ジャズプロムナード2008」(10月11日・12日)。
初めて聴いた昨年の感動を再び!と、公式サイトのスケジュール表とにらめっこして、12日(日)に行くことに決めた。
もちろん一番のお目当ては、板橋文夫の演奏。
厳密に言えば、ともに関内大ホールでの、以下ふたつのステージである。

板橋文夫(p)ソロ&ミックスダイナマイトトリオ+1(17:30~18:30)
板橋文夫オーケストラ(19:00~20:30)

昨年の「カルメン・マキ×太田恵資×板橋文夫」が「ソロ&ミックスダイナマイトトリオ+1」に変わっただけで、会場も同じ。昨年同様、腰を据えて板橋さんの音楽を聴くことができるのが嬉しい。

その他では、関内小ホールで市川秀男(p)トリオ(13:50~14:50)。
私、リリカルでキレのいい市川秀男さんのピアノ、大好き。『Invitation』を聴いて、いいピアニストだなぁと感嘆してからおよそ30年、ついに生を聴く機会がやって来た。
本当に、楽しみである。

*

楽しみは、他にもある。
横浜オクトーバーフェスト2008 in 赤レンガ倉庫」開催期間中(10月3日~13日)なのだ。
市川秀男トリオのステージから板橋さんの演奏が始まるまで、ここに行って戻ってくる時間は充分あるだろう。
ドイツの「ビットブルガー」とキリンの「限定醸造 オクトーバーフェスト」は飲んでみたいし、生ならばサッポロの「エーデルピルス」はぜひとも、と思っている。
天気が良ければの話、だが。

ああ今からもう、10月12日が待ち遠しい!
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# by kreis_kraft | 2008-09-23 11:32 | ジャズ
「カルメン・マキ×太田恵資×板橋文夫」グループ終了後、引き続き関内大ホールに留まり、板橋文夫オーケストラ。
19時20分開始とプログラムにあったが、どうやらそれより早く始まる模様。
ピアノが目の前の席に移動。ファンとしてはやはり、板橋さんが弾いている姿、できるだけ近くで観たいのだ。

実は私、「オーケストラ」も初めて。
果たしてどんなステージが展開されるのか。期待に胸が高まる。

ミュージシャン登場。
舞台に向かって前列左から、太田恵資(vln)、板橋文夫(p)、村井祐児(cl)、林栄一(as)、片山広明(ts)、吉田隆一(bs)、田村夏樹(tp)、福村博(tb)と並び、少し下がった位置に井野信義(b)、小山彰太(ds)、翁長巳酉(per)。

さすがに舞台が狭く感じられる。とりわけテナーの片山さん、デカイ(噂には聞いていたが、デカイのはガタイだけではなく、吹き出される音量も相当のものだった)。
演奏は、定番といえるソロの披露から始まったが、のっけから熱気溢れる演奏。むろん板橋さんも、激情を鍵盤に叩きつけるようなプレイで聴衆を引き込んでいく。
凄い、凄いと思っているうちに、いつしか私もすっかり引き込まれていた。

その後は、混沌としたフリージャズ的アンサンブルあり、ホーンのバトルのような展開あり、そしてじっくり聴かせるところは抑え目にと、融通無碍を絵に描いたような演奏が繰り広げられ(ことに田村さんの独特なトランペット奏法は個性的なメンバーの中でも一際目立っていた)、私はすっかりこのオーケストラに魅せられてしまった。

かつて私、「AACM」や「アート・アンサンブル・オブ・シカゴ」、そして故レスター・ボウイのレコードをよく聴いていた一時期があって、ライヴの最中、彼らのジャズがふと頭をよぎったが、このオーケストラの演奏には、前述のグループには乏しかったエンターテイメントの要素が含まれていて、聴き手を飽きさせることがない。そこが大きな違いであろう。

その他、一見野放図に見えて、まとめるところはしっかりまとめる、コンダクターとしての板橋さんの手腕にも感心させられた。ソロを指示する手つきはかなり荒っぽいが、それがピタリとはまるのだ。
そして、このステージではゲストとして登場したカルメン・マキさんの歌唱も、前のステージ同様素晴らしいの一語。
すでに一ステージ終えリラックスされたのか、堂々とした歌いっぷりが、印象に残った。

そんなこんなで開演から1時間半ののち、この上なく楽しく聴衆を圧倒した、板橋文夫オーケストラのステージ、終了。
しかし、客席が明るくなり、閉演のアナウンスが流れても、拍手が鳴りやまない。
私も、こんな形でしか感動を伝えられない、とばかり手を叩き続ける。

すると、板橋さん再登場。場内大拍手。
腕時計を指す仕草をしたあと、おもむろにピアノに向かって弾き始めたのが、「フォー・ユー」。
今日初めて、私の知っている板橋さんのオリジナルを耳にして、ただただ嬉しく、思わず涙腺ゆるむ。

一人二人とメンバーが舞台に戻ってきて、最後には全員の演奏となり、フィナーレ。
終了時刻20時45分。

* * *

JR関内駅まで、夢から醒め切っていないような状態でボーッと歩き、電車に乗ってから、かなりお腹が空いていることに気がついた。
最寄り駅でラーメンを食い、帰宅22時。

娘はすでに寝ていた。
パジャマ姿で、どうだった?と訊く妻に「もう、こたえられなかったよ」と答えて、自室に。

そして私は焼酎をロックで飲りながら、CD『時には母のない子のように 2007』を何度も聴きかえし、夜更けまで感動の余韻にひたったのだった。
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# by kreis_kraft | 2007-10-16 20:41 | ジャズ
息せき切って関内大ホールに駆け込んだのは、17時10分くらいだった。
つい先ほどまでいた、横浜みなとみらいホールでの「SUNDAY JATP」、それを聴くために結構並んだので、17時30分開始予定の「カルメン・マキ(vo)×太田恵資(vln)×板橋文夫(p)」のステージには、きっと大勢の聴衆が集まるにちがいないと思った私、馬車道駅から関内大ホールへ、急いだのだった。

すでに場内はかなり埋まっていたが、幸いにも、ステージに向かって右手前の席がひとつ空いていた。
ホッとしてそこにリュックを置き、ロビーで行って額の汗を何度も拭った。
そして、動悸が治まって来るのと反比例して、ついにこのトリオの演奏を聴く機会が巡ってきた喜びが、じわじわと湧き上がってきた。

*

私にとってこのステージこそが、「横濱ジャズプロムナード2007」最大のお目当てであった。
マイフェイバリットピアニスト・板橋文夫カルメン・マキの共演である。

といっても、前から、このメンバーでツアーを行っていることは知っていた。
なかなか都合が合わず、一体どんなステージを展開しているのだろうかと興味津々ではあったが、未見のまま今日まで来てしまったというわけである。

17時30分、板橋・太田両名登場。
考えてみれば板橋さんのお姿を拝見するのも久しぶりである(いつ以来かは思い出せないが)。
初めてライブを聴いたのが79年だから、もう28年も経つのか…と感慨に耽るいとまもなく、フリージャズ風の音の応酬から、ステージは始まった。

辛うじて確保した席は、ピアノと板橋さんをほぼ真横から見ることができる、絶好の位置。
激してくると、イスから腰を浮かせ、鍵盤に指や掌や手刀を叩きつける演奏スタイル、全く変わっていない。
もう50代半ばを過ぎているのに、のっけからこんなに飛ばして大丈夫なのかといった、私のかすかな危惧は、徐々に熱を帯びる演奏を前にして、いつしか消えていった。


2人の激しい音のやり取りが途中、ふと鎮まった。
その時、カルメン・マキ、すうっと舞台に登場。
万雷の拍手。

私、あの「時には母のない子のように」の歌い手が、そしてあの「カルメン・マキ&OZ」のボーカルが、目の前にいると思っただけで、鳥肌が、ざわっと。

そんなわけで、ただマキさんの歌う姿を凝視しているうちに、いつしか最初の曲は終わってしまった。

その後も、3人で繰り広げられるライブパフォーマンスに釘付け。どの曲がどうのといった細かい論評など、とても私にはできないが、マキさんのひそやかな語りから始まる「虹の彼方に」には、本当に驚かされた。
愛らしい旋律が単に甘美に流れることを拒絶するような板橋さんの不協和音の連打によって、ホール全体に異様な緊張感が醸し出されていたことが忘れられない。そしてその緊張感とは、「これから何が起こるかわからない」「どんな音楽になるかわからない」といった、先の見えない不安と呼ぶに近いもので、ライブでこれほどスリリングな気分を味わったことは、いまだかつてなかったと言っていい。その意味で、この「虹の彼方に」は私にとって、まさに至福の音楽体験であった。
「時には母のない子のように~サマータイム」も素晴らしかったが、私には「虹の彼方に」が、2日たった今でも、耳に残って離れないのである。


ステージ終了後、同じ会場での「板橋文夫オーケストラ」の開演を待つ間、CD即売コーナーへ赴き、『時には母のない子のように 2007』購入。
このユニットによる初のCD。まだ市場に出回っていない先行発売とのこと。
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「虹の彼方に」も「時には母のない子のように」も収められている。ライブ盤ということもあり、2日前のステージと重なって、聴くたびあの衝撃が甦ってくる。このエントリも、エンドレスで流しながら書き上げた。
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# by kreis_kraft | 2007-10-09 10:38 | ジャズ
秋になると毎年、行きたいと思いながら都合が合わず出向くことができなかった「横濱ジャズプロムナード」。
今年ついに宿願叶い、初参加!

本当は2日間通うつもりだったのだが、土曜は所用があって泣く泣く断念。
その分楽しんでやると、鼻息荒くJR桜木町駅に降り立ったのが、10月7日(日)12時45分頃。
ホームに、ビックバンドの演奏が響いている。おぉやってると、心浮き立つ。
音は、改札口出てすぐ右のコーナー。旧東横線桜木町駅改札口のあたり。
多くの人が演奏に聴き入っている。
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一気にジャズ気分高揚。
ちょっと聴いて、ランドマークタワー目指して歩き始める。
タワーの中もいたる所で生演奏が展開されている。
階段に腰を下ろして聴き入っている人も。
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(上はクイーンズ・スクエアで演奏していた帝京大学付属中学・高校の生徒さんたち。この年齢でチャーリー・パーカーの「ドナ・リー」を演っていて、ビックリ。それもソツなくこなしていたから大したものである)

外に出ると、広場で青空の下、アマチュアのビックバンドが演奏中。
演っている人も、聴いている人も、楽しそうだ。
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ここでしばしコンビニで買ってきたおにぎりを頬張り、腹ごしらえ。なんといってもこれから21時近くまでの長丁場、食べられる時に食べておかなければ身体がもたない。

* * *

そして、14時少し前、「みなとみらい大ホール」へ。
14時20分から「SUNDAY JATP / 秋吉敏子(p)・中村誠一(ts) グループ」のステージが始まるのだ。
入口近くで列に並び、少し経ってからうしろを見ると、列はどんどん長くなっている。こんなに人が集まるとは、と正直意外ではあったが、前後に並んでいる方々の会話から頻繁に、アキヨシさんアキヨシさんと、秋吉敏子の名が、耳に入ってくる。
なるほど、ここに集まった皆さんは、日本のジャズ界の草分けといえる秋吉さんのファンなのかと納得。

秋吉敏子。
ジャズ知りそめし頃、秋吉さんが夫君のルー・タバキンと組んだビッグバンドのレコードは、発表されるたびに注目を集めていたような気がする。
かくいう私も『孤軍』『ロング・イエロー・ロード』など、「秋吉敏子=ルー・タバキン・ビッグバンド」のレコードは、よくFMで放送されていたので耳にする機会は多く、録音して何度も聴き直したものだった(とりわけ『インサイツ』に収められた大作「ミナマタ」から受けた衝撃は、いまだに生々しい)。
しかし、当時の私は生意気に、秋吉敏子の真骨頂はこのビックバンドによって実現される作曲および編曲にあり、ピアニストとしてはどうだろうかなどと、同級生たちに訳知り顔で話していたものだった。
まさに、汗顔の至り、である。

長蛇の列の中、今から30年以上も前の、秋吉さんにまつわる青臭い見解を思い出して赤面しながら、ようやく秋吉さんの音を、虚心に体感する機会が巡って来たのだなぁと思ったりしているうちに、列が動き始めた。

*

ほぼ満席のみなとみらい大ホール全体が徐々に暗くなり、リーダーの一人である中村誠一がステージに登場したのは、14時半を過ぎていたと思う。
オールドファンの私、この方があの山下洋輔トリオの初期メンバーかと、これにも感無量。
中村さん、軽妙なMCで客席を沸かせ、一人ずつメンバーを紹介し、ステージに招く。

市原ひかり、松島啓之、原朋直(tp)、多田誠司(as)、中村誠一、西條孝之介(ts)、片岡雄三(tb)、田中裕士(p)、藤原清登(b)、川口弥夏(ds)

この10名で始まった幕開けの曲は、「パーディド」。この種のセッションにふさわしい曲である。挨拶代わりのソロの披露に、こちらもジワッと熱くなる。
2曲目は3人のトランペッターをフィーチャーしたナンバー。ソロの応酬が場内の空気を熱くさせたが、原朋直のプレイに、一日の長あり。
それからも、ずっと舞台に出ずっぱりだったのはピアノ、ベース、ドラムの3人だけで、ホーンセクションは曲によって何人か消えていたり。

途中からボーカルのディナ・ハンチャードが加わり、チャーリー・ミンガスの曲を何曲か歌う。これらがことごとく素敵な曲で、あのミンガスがこんなに美しいメロディーを作ったのかと少々意外の感に打たれた。

といったところで前半は終了。
さまざまな趣向が凝らされたステージ、充分楽しめた。

*

休憩ののち、後半。
秋吉さんが舞台に登場すると、割れんばかりの拍手。
ああこの小柄な女性が秋吉敏子なのかと、再び私、感無量。

いきなりピアノに向かい、ソロで「ロング・イエロー・ロード」。
お馴染みのメロディに、思わず手を叩いてしまう。
その後MCをまじえ、ソロピアノで数曲披露したが、タッチは70代後半の女性のものとはとても思えず(私の母より年齢が上なのだ!)。とりわけ、バド・パウエルの作品「ウン・ポコ・ロコ」の疾走感、自作「ポープ」のしっとりした情感の表出は本当に見事で、この2曲を聴いている間ずっと私、鳥肌が立ちっぱなし、であった。

秋吉さんのソロステージが終わると、中村さん以下、前半でピアノを担当した田中さんを除くメンバー再登場。
秋吉さんを囲んでのセッション開始。

このパートでは、ホーンがひとりずつソロを担当しては舞台の袖に消えていく「バラードメドレー」があった。
市原さんがトランペットを吹いている場面では、秋吉さん、ドラムの川口さんと、ステージにいる4名中3名が女性。
時代は変わったなぁとしみじみ思うのも、オールドファンゆえ、であろうか。


終盤に入って、ひとりゲストが加わった。
ドラムプレイヤー鬼束"Tiger"大我くん。なんと、9歳。私の娘と1歳しか違わない!
その彼が、一回り小さなドラムセットを前にして繰り広げたパフォーマンスは、実に堂々として、立派だった。
特にフィナーレでの、川口さんとのドラムバトルは聴き応え充分。オトナと互角にわたり合う大我くんのスティックさばきに、場内ヒートアップ。この日一番の拍手が送られ、なんともいえぬ盛り上がりの中、「SUNDAY JATP」は終了した。

私は、ロビーで熱演の余韻をかみしめ、ビールを一杯…とはいかず、すぐさまダッシュで日本大通り駅へ急ぐ。
(つづく)
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# by kreis_kraft | 2007-10-09 10:37 | ジャズ

追悼・本田竹曠

最初に、おことわりを。
いつから「竹広」と名乗るようになったのかわからないが、私にとっての本田は「竹曠」であって、「竹広」には違和感を覚えてならない。よってこの文章は「竹曠」と表記したいと思う。何一つ他意はないことをあらかじめ明記しておきたい。

* * *

かつて書いたことの繰り返しになるが、本田竹曠というピアニストは、私がジャズに身も心もどっぷりと漬かっていた頃の象徴ともいえる存在だった。

70年代後半、私も、意識が自分の方向しかむいておらず、重い鬱屈を抱え、あれこれ青臭い観念的なことを考えては深みにはまり、かといって現実に対して何をしていいのかわからず、ただ苛立ちばかり持てあましていた若者のひとりだった。一言でいえば「暗い文学青年」だったわけだが(自己弁護ではないが、当時はそんな若いモンは掃いて捨てるほどいたのだ)、私にとってジャズは、そんな閉塞状況を打ち破ってくれるようなものに映った。なにより、譜面通り演奏していないのが、よかった。最低限の決まりごとだけがあって、あとは個々の自由な発想が音楽に盛り込まれるというのが、新鮮だった。

*

そんなわけで、私はすっかりジャズに夢中になってしまったものの、乏しい小遣いでは何枚もレコードを買うことができなかったので、FM放送のジャズ番組は非常にありがたいものだった。ほとんど「エアチェック」して、何度も何度も聴きかえした。FM東京で放送された、故油井正一氏の「アスペクト・イン・ジャズ」など代表的なものだが、あの頃録音したカセットテープが残っていたら、と時おり寂しく思ったりする。

しかし、私が一番悔しく思っているのが、あの「渡辺貞夫マイ・ディア・ライフ」を録音したテープが、手元に一本しか残っていないこと。カセットテープも高校生にとっては結構高価だったから、何度か聞いたらその上に重ねて録音したのだろうと思うが、かえすがえすも残念でならない。なぜならそれは、ただ力任せに思いのたけを鍵盤にぶつけるといった段階を経て、徐々に自己のスタイルを確立させつつあった本田が、当時アフリカに傾倒していた渡辺貞夫との出会いによって、瑞々しくその美質を開花させていった時期と合致するからであり、その意味で73年から78年の「マイ・ディア・ライフ」は、本田の成熟を捉えた貴重なドキュメントと言えるのだ。
(どこかに、あの音源は残っていないだろうか?あったらぜひ聴いてみたいものだが・・・)

*

私は、本田の力強く、どこか土臭く、素朴なピアノが好きだった。飾り気がないアドリブが好きだった。メロディを奏でるというよりも、リズムに乗ってブロックコードを叩きつける演奏が好きだった。
ナベサダのアルトやフルートのソロはもういいから、早く本田のソロにならないかなぁなどと、大御所に失礼なことを考えながら聴いていたことも、しばしば。
あいまいな記憶ではあるが、トロンボーンの福村博が加入しクインテットになるまで、「マイ・ディア・ライフ」での本田のソロ・パートは結構長く、私は音ひとつも聞き逃すまいと、ヘッドフォンを手で強く押さえつけ(深夜0時からの放送だったので、とても大音量では聴けなかった)、番組終了時には、いつも耳が真っ赤になっていたものだった。

当然、レコードは目に付く限り、なけなしの小遣いをつぎ込んで買い求めた。trioからリーダーアルバムが1,500円という廉価で出ていることに狂喜し、すべて揃えて、繰り返し聴いた。この時期の代表作『ジス・イズ・ホンダ』は別格として、『浄土』『ザ・トリオ』『アイ・ラブ・ユー』の3作は、私が最も好きなピアノトリオという構成ということもあり、何度ターンテーブルに乗ったか、わからない。ことに『アイ・ラブ・ユー』のアルバムタイトルになった、軽快にスィングする「アイ・ラブ・ユー」、ブルース弾きの本領を十二分に発揮した「エマージェンシー」(『ザ・トリオ』)はどのくらい聴いたことか。

本田がサイドマンとして参加しているアルバムもほとんど持っているので、この時期の渡辺貞夫のレコードも、手元にある。特にモントルー・ジャズ・フェスティバルでの演奏を収めた『スイス・エア』のB面のソロには唸らされた。本田は当地で絶賛されたというが、それももっともと思える素晴らしい出来。
また、『ムバリ・アフリカ』(2枚組)の2枚目のB面に収められている「ハバリ・ヤコ」。東京での「渡辺貞夫リサイタル」を記録したものだが、よほど体調が良かったのだろう、ノリにノッた本田のピアノに、つい踊りだしたくなってしまう。

*

こうして書いている間も、頭の中で本田のピアノが鳴っている。
そして、自然に彼のアドリブが口をついて、出てくる。
本田竹曠が生み出した音が、もはや私の血肉になっている証だろう。

私はピアノを弾くことはできない。
が、本田のピアノが雄弁に伝えてくる、生の鼓動、パルスというべきものを、俺は自分の文章に満たすんだと、気負いと共に心に決めた10代の初心を、私は絶対に忘れない。

* * *

ビートルズの曲を弾いても、スタンダードを弾いても、ブルースを弾いても、そして唱歌を弾いても、そこには必ず、あなたの息遣いが感じられました。
でも、私はあなたの忠実なファンではなかったと思います。渡辺貞夫のもとを離れ、「ネイティブ・サン」で人気を博すことになった時期は、当時のフュージョンブームに乗ったものとしか思えず、あなたまで流行を追うのかと冷たい目で見たりしていました。
『バック・オン・マイ・フィンガーズ』でアコースティックに戻ってきても、70年代の凄味が消えたなどと、軽口を叩いていた私は、本当のあなたのファンでなかったのかもしれません。

でも、あなたは、やりたいことを、やりたいときに、やったまで。あなたはジャズの自由を体現していたと、齢を重ねて私も、ようやくわかるようになった・・・その矢先の死が惜しまれてなりません。
私はちょうど2年前、「今なら『ネイティブ・サン』の諸作も、心から楽しめるような気がする」と書きました。今度どこかで見つけたら、聴きなおしてみたいと思ってます。

60歳という享年、早すぎて言葉もありません。
でも、幸いに私たちは、あなたの残したアルバムを、繰り返し聴くことができる。その意味であなたは決して死んではいない。
コンサート会場で、小さなライブハウスで、その時その場で生み出されたあなたの音に接する機会が永遠になくなったことは大きな悲しみですが、あなたが心血を注いでつむぎだした音、そして聴き手に喚起した想念は、ずっと残っていく。
いつまでも。

心から、ご冥福をお祈りします。



【追記】
本田竹広公式サイト」の掲示板によると、「追悼コンサート」の企画が進んでいるようです。
また、「jjazz.net」において、2月26日まで"温故知新~本田竹広スペシャル"が試聴できるとのこと。詳しくは掲示板をご覧下さい。
なお、当番組にて、私が触れた「アイ・ラブ・ユー」がプログラムに入っています。ぜひ御一聴を!


【さらに追記】
「YouTube」に本田さんの動画がいくつかUPされていますので、ひとつ貼り付けておきます。
私の好きな「朝日のようにさわやかに」。途中からというのが残念ですが、ありし日の本田さんの強靭なピアノ、聴きかえすだけでなく、見ることができるのは本当に幸せなことです。(2008年9月24日記)

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# by kreis_kraft | 2006-02-02 00:54 | ジャズ