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「ソロ&ミックス・ダイナマイト・トリオ+1」のステージ終了後も関内大ホールに留まり、「板橋文夫オーケストラ」の開演を待つのは、昨年と同じ。


しかし今年は、インターバル30分の間、九州から板橋さんの演奏を聴きにいらしたのほほんさんと初対面を果たし、しばしロビーでジャズ談義。
のほほんさん、穏やかな語り口が実に印象的な方。かれこれ30年近く板橋さんの演奏に魅せられて来た者同士、初の対面にもかかわらず話題尽きず。

数年前、当時板橋さんのサイトに設けられていた掲示板で、ファンがディスコグラフィーを作成する気運が生まれた時期、私には珍しく、積極的にデータを書き込んでいたことがあったのだが、その時使っていたハンドルを申し上げたところ、ああ、●●さんでしたかと覚えていて下さって、嬉しかった。

残念ながら夜にご予定があるとのことで、終演後に一杯というわけにはいかなかったが、ぜひこちらにお出向きの際は、よろしくお願いしますね!>のほほんさん

*

板橋文夫オーケストラの演奏、19時スタート。

舞台に向かって前列左から、太田恵資(vln)、板橋文夫(p)、村井祐児(cl)、林栄一(as)、片山広明(ts)、中秀仁(b.cl)、田村夏樹(tp)、福村博(tb)と並び、少し下がった位置に井野信義(b)、小山彰太(ds)、外山明(per)。
(片山さんのblog「LIVE & DRIVE 日記」に、当日のエントリ&画像があるのでご参照下さい!)

観るのも聴くのも初めてで少々うろたえた昨年と違って、このオーケストラの「流儀」といったものを知った今年のステージ、昨年披露された曲が何曲も演奏されたこともあり、私は終始落ち着いた気分で、彼らの熱演を受けとめることができたように思う。
相変わらず板橋さんはエネルギッシュで、メンバーたちと作り出す音楽は、聴き手の血を熱くさせる。
それをいっそう煽るのが、言わずとしれた板橋さんの演奏スタイルで、ことにバイオリンの太田さんと丁丁発止と渡り合ったパートがあったが、私、知らず知らずのうちに掌にじっとり汗をかいていて、曲が終わったあとの拍手の際、手を叩いても音が出なかった…こんなことは初めて、だった。
新曲では「サイクリング・ブルース」「ピンク・ロック」が印象に残る。特に前者は親しみやすいテーマ、聴いたばかりだというのに、すぐに覚えることができ、嬉しかったものである。

終演20時45分。
時間の関係上アンコールが聴けなかったことが残念だったものの、精神に入念なマッサージを受けたような心地良さ、しばらく継続。
関内駅へ急ぐ途中の夜の冷気が、気持ちよかった。

*

あの夜から、2週間経った。
たびたび、板橋文夫オーケストラの初の吹き込みとなる『WE 11(ウィ・イレブン)』を聴き返しては、12日のステージのことを思い出し、どう当blogに書こうかと考えてきたが、ようやく書き上げることができそうで、ホッとしている。


ただ、ひとつ最後に記しておきたいことがある。
このオーケストラ、さまざまな楽しみ方ができる、優れた創造集団であることは疑いない。
しかし、どんな卓越したグループであれ、年を経るごとに斬新さは失われ、マンネリに陥ることは避けられないことで、作曲の才に恵まれた板橋さんが、次から次へと素晴らしいオリジナルを書き上げたとしても、常に新鮮なパフォーマンスを披露することができるとは限らないと私は思っている。

かすかに感じた不満を書くと、どんな曲も、途中から同じ調子になっているような気がする。
これは、かつて70年代の山下洋輔トリオの演奏を聴いて感じた不満と非常に似ている。「一本調子」と言ったら語弊があるが…

たとえば私は、「ピンク・ロック」のような曲のあとに、しっとりとしたバラードを聴きたい。それも多彩なホーンひとりひとり、そしてピアノとバイオリンが、じっくり聴かせるようなバラードを、である。こういう演奏を一曲ぐらい入れたとしても、板橋オーケストラの価値が下がるわけではないと思うし、聞き手も歓迎だと思うがどうだろう。

そういえば、今年は「フォー・ユー」を聴くことができなかった。
それゆえ、心残りから、上記のように感じたのかもしれない。
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by kreis_kraft | 2008-10-26 20:47 | ジャズ
ひとり舞台に現れ、挨拶を終えたあと、「まずはソロでビートルズナンバーを」と板橋さんがボソッと口にしたとき、私の心臓がトクンと、鳴った。

ピアノに向き合うなり、静まり返ったホール中に、板橋さんの、骨太の音が響きわたる。
フォルテとピアニシモの間を激しく、そして悠然と行き来するソロピアノ。
そして、ふと、「ヘイ・ジュード」のフレーズがひそやかに流れ出てきた瞬間、私の胸はある感慨に満たされ、たちまち目に涙が湧いてきた。

*

横濱ジャズプロムナード、関内大ホール、17時30分。
「板橋文夫ソロ&ミックス・ダイナマイト・トリオ+1」のステージの冒頭。
暗闇の中、一条のスポットライトに浮かび上がるのは、ピアノを前にした板橋文夫のみ。

ソロの「ヘイ・ジュード」の間、このひとときを絶対に忘れないようにしようと、私は耳に全神経を集中させ、ピアノを弾きながら激しく動く板橋さんの背中をひたすら凝視していた。

* * *

ビートルズの名曲中の名曲、「ヘイ・ジュード」。
板橋さん、そして板橋さんの人となりを知る者にとって、この曲は特別な意味を持っている。
そう、この曲は、板橋さんがフェイヴァリット・ピアニストとして名を挙げる、故本田竹曠が好んで演奏したナンバーだったのだ。

1970年代、共に渡辺貞夫グループで活躍し、この巨大な存在の薫陶を受けた本田竹曠と板橋文夫、実は国立音楽大学の先輩後輩の間柄。加えて師事したピアノ科の先生も同じである。

その頃(引用者注:国立音大生になった頃)O・ピーターソンのなどのレコードコピーなども少しやっていたが、もっと深くジャズに感銘したのは本田さんのピアノを学校の芸術祭で聴いた時だった。ピアノがこわれんばかりの強力なタッチとそのソウルフルな歌心に圧倒された。それからはもう寝てもさめてもジャズで、先輩の碇さんにバークレーの理論を習ったり、マッコイ・タイナーの『インプレッション』など聴きまくった。
板橋さん自身による『ライズ&シャイン』(コジマ録音 1976年)のライナーノートより引用したが、本田竹曠がいなければ「ジャズピアニスト板橋文夫」の誕生はなかったかもしれない。
4才年上の本田竹曠は板橋さんにとって、まさに、特別な存在だったわけである。


06年3月5日、本田竹曠が亡くなって約2ヵ月後、「追悼コンサート」が行なわれた。
渡辺貞夫をはじめとする数多くのミュージシャンが出演したこのコンサートで、最初のプログラムが、板橋さんのソロ。そして弾いた曲が「ヘイ・ジュード」だったとあとで知り、故人に寄せる板橋さんの敬愛の深さに目頭を熱くし、野暮用があって行けなかったのが、悔やまれてならなかったものである。
文字通り、歯ぎしりする思いだった。

* * *

それからおよそ2年半が過ぎ、聴きたくてたまらなかった「ヘイ・ジュード」を、目の前で板橋さんが、弾いている。
ただ、感無量であった。
この世からいなくなっても、本田さんのスピリットは、板橋さんによって確かに受け継がれている…そんな確信に包まれた、至福のひとときだった。

*

「ヘイ・ジュード」の熱演のあと、井野信義(b)、小山彰太(ds)のおふたりが登場し、「ミックス・ダイナマイト・トリオ」。沖縄の童謡「えんどうの花」が、よかった。
最後に外山明(perc)が加わり、白熱の演奏で終了。

しかし。
率直に言って、私はこのステージ、「ヘイ・ジュード」の衝撃があまりに強すぎて、その後は少々ボーッとしていたかもしれない…

このトリオ+1、ホールではなくどこかのライブハウスで改めて、聴きたいもの。
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by kreis_kraft | 2008-10-23 22:19 | ジャズ
10月12日(日)はさわやかな好天に恵まれた。
野外で演奏する人たちはさぞかしホッとしたろうと思いながら、身支度を整え、横浜へ。
昨年は桜木町で降り「みなとみらい大ホール」を目指したが、今年は関内まで。
駅から脇目もふらず、まっすぐ「関内ホール」へ。

ホール入口横に人だかりが出来ている。街角ライブだ。やってるやってると嬉しくなる。
大学のジャズ研の学生だろうか、懸命の演奏を2曲ほど聴いたあと、地階の小ホールへ。

開演20分前、約6割ほどの入りである。
前から3列目の席に腰を下ろし舞台を眺めていると、市川さんが出てきてピアノのチェック。
この方が市川秀男なのかと、そのうしろ姿、鍵盤をすべる指先に見入ってしまった。

市川秀男(p)、加藤真一(b)、二本柳守(ds)

1時間のステージで演奏されたのは5曲。アップテンポの最初の曲の、一音一音の粒立ちはっきりしたピアノ演奏に、いきなり背筋がシャキッとなる。
次いで、市川さんのMCをはさんで立て続けに3曲。それぞれ陰翳に富んだ演奏に、「フトコロの深さ」といったものが感じられる。この方、その気になれば、フリーも難なくこなすだろう。
(そういえば市川さんには故富樫雅彦氏との共演盤があるが、これは近いうちに入手し、聴いてみたいと思っている)
加えて、作曲の才も図抜けたものであることを再認識。特に、ベースをフィーチャーした「夏によせて」、美しい情感に溢れた佳曲だと思った。

ジョージ大塚のグループで世に出たのが1966年、すなわち42年のキャリアを持つこの大ベテラン、もっとその名が喧伝され、高い評価を受けていいピアニストだと思う。
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by kreis_kraft | 2008-10-16 22:57 | ジャズ