「ほっ」と。キャンペーン

ジャズ/FC町田ゼルビア/その他


by kreis_kraft

カテゴリ:FC町田ゼルビア( 33 )

10時少し過ぎ、天気が心配だったが、横浜線に乗りこむ。
かなりの寒さの中、小机駅から歩いて「日産フィールド」へ。
11時に始まる横浜FCとのTM。試合開始前から結構人が集まっていた。
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(ハーフタイムに撮影)

試合は90分の本番形式。
ほとんどは前半と後半、試合途中で入れ替わったが、津田選手はフル出場。
今年も守備の要の重責を担うこと間違いなく、ケガのないよう願わずにはいられない。

前半は北井、勝又両選手がFW。ピッチコンディションが悪い中、今回も北井選手の動きよし。
斎藤広野選手の攻め上がりが目立った。ポポヴィッチ監督からも「コーヤ!」と指示が飛ぶことが多かった。注文が多いのは期待されている証拠だろう。

前半30分を過ぎた頃から、両チーム控え選手アップ開始。
そんな選手たちの中に、彼がいた。
そして後半から、ピッチに立った。

三浦和良。
言わずと知れた、90年代の日本サッカーを牽引してきた「キング・カズ」。
常に注目を集める第一線から離れても、節制に節制を重ね、いまだ現役を続けているレジェンドのプレー、スタジアムで遠くから眺めたことはあるが、こんな身近で見るのは、初めて。

正直に告白しよう。
カズがアップを始めてから終了まで、私は試合全体に集中できなくなってしまった。
カズがボールに触れているときばかりでなく、セットプレーでボールを置き、蹴る間合いを取っているときも、とにかく彼の動きばかり追っていた。そしてときおり、90年代の日本代表の試合の思い出が甦ってきたり…というわけで後半のFC町田ゼルビアの印象は、ほとんど残っていない。
(ゼルビアサポーターの皆様には、オールドファンの心情をお察しの上、ご寛容のほどお願いする次第である)

試合が終わっての挨拶のあと、カズは笑みを浮かべながらポポヴィッチ監督と会話を交わしていた。
そんな振る舞いにも風格があり、本当に、格好良かった。
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怪しかった空模様、グラウンドを離れる頃にはすっかり晴れ上がり、せっかくだから少し歩いて帰ろうと決め、隣駅の鴨居までウォーキング。鶴見川沿いをのんびり40分くらい歩き、軽く昼ご飯を食べ、電車に乗って自宅に戻ったのが15時頃。

その後昼寝をして、夕食後、日記書きおよび仕事。
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by kreis_kraft | 2011-02-10 23:59 | FC町田ゼルビア
朝早く起きて、仕事の基幹というべき部分の再検討。
あれこれを考え、ひとつのプランが浮かび上がる。
これで良し、この線で再構築だ、と思わず声が出る。

ひとつの方向が出て、少々気分が良くなる。
プラン説明のメールをしたため、送信したのが10時。
具体的に仕事は進んでいないものの、「明日やろうはバカやろう」と言われてもそれもたまになら一興と、11時からFC町田ゼルビアのTM(トレーニングマッチ)が中央大学グラウンドであることを思い出し、見学に行くことに決める。

実家まで自転車で行き、車に乗り換えて中央大学グラウンドへ。
多くのサポーター諸氏が集まっている。
すでに1本目が始まっていた。

*

以下は2本目も観ての、素人の感想。
選手たちの仕上がりは順調とみた。
特に印象的だったのは北井選手のスピード。昨季より確実に速くなっている。特にボールを受けたあとの瞬時の加速に魅せられた。
もちろんスタメン起用もいいが、相手の足が止まった後半途中からの投入は特に効果的な気がする。

ディミッチ選手、長い手足で懐が深く、容易にボールを奪われなさそうな安心感あり。
彼のプレースタイルへの周囲の理解が深まれば、決定的なパスが出てきそうな雰囲気がある。

が、なんといっても印象に残ったのは、ポポビッチ監督。
大きな身振りで感情あらわに、気になったプレーをした選手のニックネームを叫び、修正点をすぐに伝える。
しかし一番感心したのは、ミスがあっても「オーケー!」と責めることはせず、良きプレーには「ブラーボ!」(アクセントは「ラー」にある。「らー」である)を連発すること。これは教育者として、最も大切な姿勢である。
監督を見ているだけで、私は決して飽きることがなかった。

これはポポビッチ監督の意向なのだろうが、前後半60分ずつのトレーニングマッチにはびっくりした。
1本目も2本目も基本60分ぶっ通しでプレーした選手たち、最後の方は相当キツかったようだが、疲労がピークに達しても判断力が落ちない選手を見極めようとしているのかもしれない。

*

終了後、本日初めてお目にかかった、FC町田ゼルビアの試合の動画ですっかりおなじみの「daysworld」管理人dayさんと野津田まで同乗。
車中の話、楽しかったです、今後ともよろしくお願いいたします>dayさん

小腹がすいたので、桜美林大学近くの「丸源ラーメン 桜美林学園前店」に行き、「醤油ラーメン」(550円)。
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甘じょっぱい醤油スープ、思いのほか美味。このお店のウリは「肉そば」とお見受けしたが、次回はそれを注文してみよう。

せっかく車で来ているので、淵野辺まで足を伸ばし「高座豚手造りハム・相模原店」に行き、「アイスバイン」を購入し、実家経由で帰宅17時。

*

夕食は、我が家の特製「アイスバイン鍋」。
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アイスバインの肉塊を1時間半ほど煮込んだスープにコンソメ2片を溶かし込み、軽く煮ておいたニンジン、ジャガイモ、ブロッコリー、キャベツ、タマネギ等を投入しさらにコトコト煮込み、アイスバインは肉を骨から外し、食べやすいように調理用ハサミで切っておく。それを鍋に加える。ソーセージは鍋を食卓に移す5分前くらいに投入。

アツアツを粒芥子でいただくと、もう箸が止まらない!
「つばめグリル」で「ドイツ鍋」と呼ばれているものだが、あれを家で食べられないかと思っている方には、お勧めである。
ビールにも、辛口白ワインにも合う。
言うまでもなく肉は美味この上なく、根菜類もたっぷり摂れ、身体がポカポカ温まる。

そして、〆のラーメンの素晴らしさ!
ただ生麺を茹で、きざみネギと、お好みでおろしニンニクを加えるだけで、西洋風とんこつラーメンの出来上がりである。読者諸氏よ、ぜひお試しあれ!
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そんなわけで、われわれ3人すっかり満腹になり、私は心地よく酔っぱらい、実にブラーボな一日だったと満足して、それぞれ床に就いた。
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by kreis_kraft | 2011-02-06 23:59 | FC町田ゼルビア
後編を書き継ぐ前に、一言おことわりを。
前編に誤りと思われる記述がありましたので加筆を施しました。
その加筆箇所は青のフォントで他と区別してあります。まずは「ドラガン・ディミッチ選手のこと【前】」をご一読下さい。
事実を確認したあと、このエントリは必要に応じて加筆修正を施し、本家である私のサイト「クライス・クラフト」内の「雑文集」に収めたいと考えております。
もちろん、その折は当blogにその旨お知らせするつもりです。

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「FKオーストリア・ウィーン(FK Austria Wien)」に2006/07シーズンの途中から移籍したドラガン・ディミッチ選手が、もっぱらセカンドチームである「FKオーストリア・アマチュア(FK Austria Amateure)」で活躍していたことは前編でも触れた。
日本語版「ウィキペディア」によると、「FKオーストリア・アマチュア」での2部リーグ公式試合出場数89、13ゴール。

ところでドイツ語版には、日本語版にない、こんな記述がある。

>Für Furore sorgte der Serbe am 28. Oktober 2008, als er am 3. Spieltag des ÖFB-Cups gegen den klar favorisierten FC Red Bull Salzburg in der 93. Minute das entscheidende 2:1 nach einem Sololauf erzielte.(http://de.wikipedia.org/wiki/Dragan_Dimic)
「このセルビア人が世間の注目を集めたのは、2008年10月28日、オーストリアカップ第3節での対FCレッドブル・ザルツブルク戦である。だれもが優勝候補と思っていたFCレッドブル・ザルツブルク相手に、ロスタイムに入って3分後、独走から2-1とする決定的なゴールを挙げた。」

「ジャイアント・キリング」といっても差し支えないだろう。2部の「FKオーストリア・アマチュア」が、昨シーズン1部2位の「FCレッドブル・ザルツブルク」をアウエーで下したのである。それも延長突入直前のゴールで!
選手スタッフのみならず、ウィーンから駆けつけたサポーターたちも、ディミッチ選手の劇的なゴールに酔いしれたことは想像に難くない。
この勝利で波に乗ったのか、「FKオーストリア・アマチュア」は、続く準々決勝もPK戦で勝利を収めベスト4進出を果たす。残念ながら準決勝で敗れファイナル進出は逃したものの、大健闘と言っていい。

以下は余談だが、もし「FKオーストリア・アマチュア」が決勝に進んでいたら、相手は「FKオーストリア・ウィーン」であった。日本だったら「ジェフ千葉」と「ジェフ・リザーブズ」が対戦するようなもので、さぞかし興味深いマッチになったことだろう(ちなみにオーストリアカップを制したのは「FKオーストリア・ウィーン」)。
また、格下のクラブに敗れた「FCレッドブル・ザルツブルク」は、この敗戦が薬になったのか、その後態勢を立て直し、2008/09シーズン・リーグ戦の覇者になっている。

*

余談を、続ける。
ディミッチ選手の現時点におけるキャリアの中で、最も輝かしい戦績と言ってもいいこの一戦のあと、ピッチで歓喜を爆発させている「FKオーストリア・アマチュア」の選手たちとは対照的に、敗北に打ちひしがれている「FCレッドブル・ザルツブルク」の選手の中に、ひとりの日本人がいた。

2006/07シーズンの途中にこのクラブに移籍し、まずまずのパフォーマンスを示し3シーズン目を迎えた彼だったが、開幕直後に負傷し出遅れ、公式戦出場の機会がなくなっていた。
が、ようやくこの試合、スタメンで出場が叶い、しかも主将の指名を受ける。
日本でキャプテンマークを巻くのが当たり前だった彼にとって、マークは久々の心地良い感触を腕に伝えてきたことだろう。また、選手としても、期するところも大きかったはずである。
が、この、幕切れである。


ディミッチ選手のゴールが決まった瞬間、元日本代表主将・宮本恒靖は、どんな心境だったのだろうか。
こないだのカップ戦は90分間出て、個人的には手応えはあったけど、チームは負け。

勝つにこしたことは無いんやけど、俺としては久しぶりの公式戦を楽しんだよ。
敗戦の6日後に更新された、宮本恒靖公式サイトの「Diary・2008年11月2日」から冒頭部を引用させてもらったが、すでに気持ちの切り替えは、終わっている。
さすがだと思う。71キャップの代表歴はダテではない。日本代表の主将として02年、06年と2回のW杯に出場し、04年にはアジアカップを真っ先に掲げた男は、前向きである。

しかし、結果的にこの試合が、宮本選手の「FCレッドブル・ザルツブルク」最後の出場試合となった。
2009年1月に帰国し、ヴィッセル神戸に入団したのは周知の通り。
そして今、17年目のシーズンに向けてトレーニングに励んでいる。

* * *

考えてみれば、不思議なものである。
敵チームの日本人キャプテンと試合前の握手をしただろうディミッチ選手とて、まさかその2年3ヵ月後、日本に行くことになるとは、思ってもみなかっただろうから。
90分の間、やりあう場面もあったかもしれない両者が、今、同じ日本にいる。

「ザルツブルクでの最後の試合でゴールを決められた選手のことを覚えていますか?」

こんな、いささか意地悪なことを、宮本選手に訊いてみたい衝動にかられる。
そうしたら必ず、「なぜそんなことを訊くのですか?」と端正な顔をこちらに向け、不思議そうに問い返すことだろう。
そこで私はこう答えるのだ。

― その選手が、今年、JFLのFC町田ゼルビアのメンバーになって、10番を背負うんですよ。

想像の中では、どんな表情を思い浮かべても自由なのが、いい。

いっそ、宮本選手のblogにトラックバック送ってしまおうか。
アップ前の今、そんな不躾なことを考えたりもしている私である。

【2011年2月3日14時40分記す】




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by kreis_kraft | 2011-02-01 12:39 | FC町田ゼルビア
2010年度の仕事も終了し、アジアカップも日本代表の優勝で幕を閉じ、ようやく落ち着いてものを考えられる状態になった。嬉しい限りである。

* * *

久しぶりにFC町田ゼルビア関連のエントリを。
タイトル通り、新入団の外国人選手について、である。

はるばる極東の地にやってきたセルビア人のフットボーラー、それもJFLのクラブでプレーするためにやってきたとあらば、関心をそそられるではないか。
加えて、ランコ・ポポヴィッチ新監督ともども、あのコソボの出身。
どんな選手なのか、時間ができたら調べてみようと思っていたのである。

*

ドラガン・ディミッチ(Dragan Dimić)。
1981年10月14日、コソボ社会主義自治州(当時の名称、ユーゴスラビア連邦所属)生まれ。
長らくユーゴスラビア連邦大統領の座にあったヨシップ・ブロズ・チトー大統領が死去したのが1980年5月4日だから、このカリスマ指導者の死から始まった、連邦の動乱の中で生を享けたことになる。

ドイツ語版「ウィキぺディア」の説明文の冒頭は、こうである。

>Dimic, der seit seiner Kindheit in Österreich lebt, begann seine Karriere beim ASC Götzendorf in Niederösterreich.
(http://de.wikipedia.org/wiki/Dragan_Dimic)
「幼い頃からオーストリアで暮らしていたディミッチは、ニーダーエスターライヒ州のASCゲッツェンドルフでキャリアをスタートさせた。」

注目すべきは「幼い頃からオーストリアで暮らしていた」という一節である。家族がいつコソボを離れたのかはわからないが、「ウィキぺディア」中の「コソボ紛争」の記述を読むと、彼が生まれてまもなくかもしれない。
1980年5月4日のチトーの死によって、長期間にわたる政治的不安定が始まり、経済危機と民族主義者の台頭によって状況は次第に悪化していった。コソボで最初に発生した大規模な衝突は1981年3月、アルバニア人の学生が、売店の前の長い行列に対して暴徒化した。これは小規模な衝突であったが、やがてこれが引き金となってコソボ全土に急速に拡大し、各地で大規模なデモが発生するなど、国家的反乱の様相を呈した。
その後のコソボがどんな悲惨な運命をたどったかは、紹介するのもつらいので、このぐらいにしておく。関心をもたれた読者諸氏は、ぜひ「コソボ紛争」の項にお目を通していただきたい。

1985年から1986年にコソボを去ったセルビア人に関する調査書においては「20万人のセルビア人がこの20年間のコソボを去った」といった主張がなされているという。
ディミッチも、そしてその家族も、生まれ故郷を去ることを余儀なくされた20万人にカウントされているのだろう。

私は、機会があれば本人に、何年にオーストリアに移住したのですかと訊いてみたいと思っていたが、そんな考えは今はもう、ない。
なぜなら私の質問が、彼にとって悲しい過去を、思い出させることになるかもしれないから。

*

「ASCゲッツェンドルフ(ASC Götzendorf)」は、ドラガン・ディミッチがプロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせたクラブであることは、前に触れた。
しかしドイツ語版「ウィキぺディア」では、このクラブには「2006年まで在籍(bis 2006)」としか記されていない。

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ここで、読者諸氏にお詫びを申し上げたい。
このエントリをアップしたのち、ディミッチ選手は「ASCゲッツェンドルフ」に入団するまで、どのクラブにも属していなかったのか?という疑念が生じてきたのである。
入団は後述の通り22歳のときであることははっきりしているが、それ以前にサッカー選手として修練を積んだクラブがあってもいいようなものである。
「ウィキペディア」の記述を信じるならばそのようなクラブはないのだろうが、このネット上の百科事典、その真偽がときたま話題になることは、よくある。
どうにも落ち着かなくなった私、そういえば「今日のゼルビア」に新入団選手の経歴が載っていたことを思い出した。「2011年1月22日」にある。
ナプレラクワシリェヴォ(セルビア2部) ⇒ ムラドストゴシャ(セルビア3部) ⇒ ゲッツェンドルフ(オーストリア4部) ⇒ オーストリアウィーン(オーストリア2部) ⇒ ホルン(オーストリア2部)
「ASCゲッツェンドルフ」入団前に、セルビアの2クラブの在籍経験があるではないか!
すぐに「今日のゼルビア」の中の方にソースを問い合わせてみたところ、 「新体制発表会で配布されたプレス用の資料がソース」であり、新体制発表会で「ディミッチ選手の入場の際にプロジェクターで映って」いた、このため「公式な経歴」と受け取った、との回答を得た。
むろん「プレス用の資料」作成にあたって、フロントがディミッチ選手に直接経歴を問い合わせたことに疑問の余地はなく、「ウィキペディア」の記述は不完全、そしてそれに基づいて書いた私の文章も誤りということになる。

事実を確かめぬ段階で、こうした記事をアップしたことについて、アクセスして下さった皆様に深くお詫び申し上げたい。
しかし、どうしてこの2クラブが経歴から漏れていたのか、そして「幼い頃からオーストリアで暮らしていた」という「ウィキペディア」の記述は何に基づくのか。
読者諸氏には申し訳ないと思うと同時に、その辺の事情をさらに私は知りたくなった(セルビアのふたつのクラブの探索にもすでに着手している)。
書き手の責任を、以後も調査を進め、報告することで全うしたいと思っている。
【2011年2月3日6時記す】

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いったいディミッチ選手は、いつこのクラブに入団したのだろう?
探索を進めた結果、2004年8月であることが判明した。22歳のときである。
また、在籍は厳密には2007年1月まで、ということもわかった(ソースについては後述)。
彼が入団した当時、「ASCゲッツェンドルフ」というクラブは、オーストリアの7部リーグに所属していた。
(オーストリアのサッカーリーグは9部からなり、6部から9部は完全なアマチュアリーグ。参考サイト
入団後ディミッチ選手はすぐに頭角をあらわしゴールを量産。クラブの6部昇格に貢献し、自身もこの2004/05シーズンの得点王(32点)に輝いている。
翌2005/06シーズンは、2トップの一角として十分な仕事をし、チーム総得点の74点中ふたりで52点を挙げる活躍をみせ、チームは5部に昇格。

こうした働きが注目されたのだろう、続く2006/07シーズンの途中、クリスマスブレイクの間に、1部に所属する「FKオーストリア・ウィーン(FK Austria Wien)」のセカンドチームである2部の「FKオーストリア・アマチュア(FK Austria Amateure)」から半年間の契約の提示を受け移籍、そして2007年5月に契約延長がなされた。
ディミッチ選手は2010年夏まで上記ウィーンのクラブで選手生活を送ることになるのだが、その大部分は「FKオーストリア・アマチュア」のメンバーとして出場したもので、1部の公式戦出場記録は1試合にとどまっている。
それは2008/09シーズンの第13節(08年10月18日)、「FKオーストリア・ウィーン」が5-0で大勝した試合での、後半78分から試合終了までの13分の途中出場。

27歳と4日で彼はついに、オーストリアの「ブンデスリーガー」となったのである。

(前編終わり。後編に続く)

* * *

実は、まだディミッチ選手については書きたいことが残っているので、このエントリのタイトルには前編の意で【前】を付けさせていただきます。
後編は2,3日中にアップ予定。ツィッターやmixi等で更新したとお知らせしますので、関心萌した方はぜひご注目下さい。


なお、ディミッチ選手のパーソナルデータは、「FKオーストリア・ウィーン」の「アーカイヴ」内の「Dragan Dimic」に基づいています。(←クリックしてみて下さい。ディミッチ選手のもっと若き日のお顔を拝見できます。)
このクラブのトップチームに在籍した全選手が紹介されている「選手」ページの右上には「gewidmet dem treuen Austria Anhang(誠実なオーストリアのサポーターに捧ぐ)」とあります。クラブに尽くしてくれた選手たちの貢献を、こうした形で残そうとするクラブの姿勢はまことに好感が持てますし、どんなクラブのサイトにも、こうしたデータページがあるべきだと思いました。


ディミッチ選手が最初に入団したクラブ「ASCゲッツェンドルフ」の公式サイトはこちらです。
彼の活躍についてはサイト内の「年表」に多くを拠っています。
しかし1920年創立といいますから、こんな小さなクラブでも91年の歴史があるのですね。
ヨーロッパサッカーの歴史の深さを感じます。

ちなみに「ASCゲッツェンドルフ」、ディミッチ選手が去ったのち2007/08シーズン終了後に4部に昇格。
現在の2010/11シーズンは前半戦を終了して16チーム中首位に立っています。
次の試合は3月11日(金)。これから後半戦が始まるのでしょうが、果たして3部昇格なるか否か?

書いているうち、妙にこのクラブのことも気になってきました。
試合結果、これからもチェックしていこうと思ってます。
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by kreis_kraft | 2011-02-01 12:38 | FC町田ゼルビア

雷鳥が、やって来る

4月25日(日)に私が長く待ち望んでいた試合が、ゼルビアのホーム・野津田でおこなわれる。

「FC町田ゼルビアVS松本山雅FC」(14時キックオフ)

私はかつて「がんばれ、松本山雅!」と題するエントリをアップしたことがあった。
多数の熱狂的なサポーターを持つ松本山雅FC、昨年悲願のJFL昇格を果たし、ついに町田ゼルビアと対戦である。

私にとって松本山雅、久しく気になるクラブであった。
いくたびか昇格目前にして苦汁を嘗め、涙にくれてきたこのクラブ、妙に心の琴線に触れる何かを持っている。
そんなわけで、私はずっとこのチームを応援してきた。
が、対戦相手となると話は別である。


FC町田ゼルビアの選手たちよ、昨季前半自分たちが手ひどく受けたJFLの洗礼を、この新参者たちに浴びせてやれ。
大いに相手をリスペクトすると同時に、観ている私たちの胸を熱くさせてくれるようなプレーで、雷鳥たちを打ち負かせ!

そして私は、松本山雅サポーターに負けない熱意をもって、いつもの倍の声を出すことを、ここに誓う。
負けるな、FC町田ゼルビア!
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by kreis_kraft | 2010-04-20 09:58 | FC町田ゼルビア

完勝

高崎まで足を運んだ甲斐が、あった。

9月6日(日)、ここ何試合か鳴りを潜めていたFC町田ゼルビアの本領、上州の地で遺憾なく発揮され、対アルテ高崎戦0-3の完勝。
開始早々に先制し相手の出鼻をくじき、さらに追加点を奪い0-2で前半を終えた時点で、私は今日の勝利を確信した。
さらに後半の半ばにダメ押しの3点目が入り、あとはもう、鼻歌交じりの観戦であった。

こんな気楽に、プレーを楽しむことができたのは、いつ以来だろう?
私は久しぶりに、地域リーグで「向かうところ敵なし」状態だった昨年度のゼルビアを思い出した。

それにしても、御給選手が入っただけで、こんなに変わるものだろうか?
天皇杯の対明治大学戦の敗戦のあと、立て直す時間があったといえども、意思の統一が見えず、混迷の度を深めていたかのように見えたチームとは別物のよう。
まさに、貧血気味で始終青白い顔をしていた人間が、血液の循環が良くなり健康体に戻った…といった感じである。

そんな印象を受けたのも、パスがスムーズに繋がっていたから、だろうと思う。
そしてパスひとつひとつに、戦略的意図が感じられた。
敵が攻めてこないと見るや最終ラインでボールを回すシーンが何度か見られたが、それは明らかに「パスの出しどころがないから仕方なく」のパスではなく、ジリジリとした相手をおびき寄せスペースを作り出すためであった。

ディフェンスラインだけではなく、どのパスにも意味が感じられた。
それは、パスサッカーを志向するチームの生命力が甦って来たことを予感させる、まことに良き傾向と、私には思えた。
チームが同じ方向を向いている証し、なのだから。

御給選手と飯塚選手の同時起用も納得。どっしりと構える大きな御給選手の周囲に運動量の多い小兵の飯塚選手を置く布陣に妙味があった。
ベンチを温めることが多かった雑賀・齋藤両選手のプレーも秀逸。最終ラインを統率した雑賀選手のヘッドの強さは相変わらずだったし、3点目の基点となった齋藤選手の突破と折り返しは本当に見事だった。



出場停止の森川・深津両選手とも、うかうかしてはいられない、といった気持ちになったのではあるまいか。


しかし敵地での勝利の味は、格別である。
大挙して敵地に乗り込んだ私たちサポーター、大満足であった。
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by kreis_kraft | 2009-09-08 11:17 | FC町田ゼルビア
7月19日、対ガイナーレ鳥取戦、激戦の末1-0の勝利。

終了後、殊勲のゴールを決めた森川選手が晴れやかな表情でヒーローインタビューを受けているうしろで、勝利の立役者のひとりであるGK修行智仁選手が、端正な顔を歪め、何度もタオルで目のあたりをぬぐっている。
感極まって泣いているのだと気が付いた瞬間、私は胸が締めつけられるような気分にとらわれ、改めてこの一戦の重要性が、とてつもない重圧となって、彼の身体にのしかかっていたのだと、思わず目頭が熱くなった。

*

「7.19町田倍増計画」キャンペーンが功を奏し、野津田に3861名という史上最多の観客を集めたこの試合、FC町田ゼルビアは、さまざまな意味で、勝利を求められていた。
もしここで一敗地にまみれるようなことがあったら、悲願であるJリーグ昇格への道は、かなり、遠のく。
後半折り返しての2連勝の意義も薄れ、上位には通用しないのかという懐疑心も頭をもたげてくる。
そして、「なんやら大がかりに宣伝しているようだしちょっとスタジアムに足を運んでみようか」と、サッカーやゼルビアに特別な思い入れも持たず野津田にやってきた方々は、目の前で負けたとなれば、「なんだこの程度のチームなのか」と、たちまちソッポを向いてしまうかもしれない。

絶対に、勝たなくてはならなかったのだ。

修行選手の涙はむろん、かつて在籍したガイナーレ鳥取を倒した喜びにも因るだろう。
だが私には「喜び」よりも、90分間不断の緊張を強いられ、常人には想像もできない重圧からようやく解放された安堵感ゆえ、と思えてならない。

幾度となく危機にさらされながら、文字通りゴールを死守した修行選手の試合後の姿に、脳裏にさまざまな想念が浮かんでは、消えた。

*

この勝利の価値は、計り知れないものがある。
加えて、最大級の重圧の中で結果を出した選手たちは、さらなる自信を持って以降の試合に臨めるようになるだろうと、私は信じて疑わない。

「7.19町田倍増計画」は、成功裡に終わった。一サポーターとして、私も安堵感に包まれている。
が、当然のことながら、これからも「倍増計画」は続くのである。


今後も、観る者の胸を熱くする闘いを!
そして、勝利を!>FC町田ゼルビアの選手の皆様


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by kreis_kraft | 2009-07-20 01:50 | FC町田ゼルビア

7.19町田倍増計画

仕事が、うまく進まない。イライラがつのるばかり。
さわらぬ神にタタリなしとばかり、妻も娘も私に近寄ってこない。
私、相当目が吊り上っているらしい。

*

そんなダークな日々の中、ささくれ立ち、乾ききった私の心に、慰謝の潤いを与えてくれているのが、ここ2戦のゼルビア。
後期に入って2連勝である。

後期初戦、ホームで佐川印刷を1-0で破り(7月4日)、アウエーで流通経済大学に1-4の逆転勝ち(7月12日)と、JFL昇格初の連勝。

こういう状態なので敵地には赴けなかったが、途中経過が気になってたまらず、ハーフタイムに、遠征された「中年ゼット君」氏に電話。
1点リードされてますと聞かされ、思わず溜息。
まだ半分過ぎただけ、これからこれからと採点に戻り、出来の悪い答案に悪態をつきながら一クラス分一挙に片付け(採点は、始めたら中断してはいけない。コレ鉄則である)、一息ついてふと携帯を見ると、「中年ゼット君」氏からの着信が複数履歴に残っている。

もしかして…と胸高鳴り、慌ててコールすると、弾んだお声で「勝ちました!」。
まわりが騒がしい。サポーターたちが勝利を喜んでいる様子が伝わってくる。
思わず「おぉ、勝ちましたか!」とこちらも声がうわずる。

追加点入れられた時にわざわざ電話で報告する人はいない。
もしかしてと思ったのは、正解だった。

おかげさまであのあと、実に気分よく仕事することができました。
本当に、ありがとうございました!>中年ゼット君さま

*

しかし、それにしても対流通経済大学戦は、先制されたものの追いつき、勝ち越し、突き放す実にいい内容。
これで、対佐川印刷戦の勝利の価値が、さらに増す。
後期始まって連勝、そして次節の相手はガイナーレ鳥取。
上位のチーム、それも同じJリーグ準加盟チームを迎え撃つ舞台は、整った。

ふと私は思い返す。
後期初戦の対佐川印刷戦、前半にPKを取られたシーンがあったが、相手が外してくれた。
そのまま0-0で試合は進み、後半30分蒲原のゴールが決勝点となった。

あのPKが決まっていたら、試合はどうなっていただろう。
その1点で負けていたら、ああ後期もかわりばえがしないとだれもが嘆いたことだろう。

あのPK失敗は「あれがなかったら」と後々まで語り草になる、すなわち、FC町田ゼルビアにとって大きなターニング・ポイントとなるプレーと、ずっと語り継がれるものになるかもしれない。
そんな気がして、ならない。


ガイナーレ鳥取戦(7月19日)が近づいてくるにつれ、私の気分は次第に高揚してきた。
後期3戦目にして、意地でも負けられない試合が、やってきた。


* * *

その大一番を前にして、FC町田ゼルビアは「7.19町田倍増計画」キャンペーンを展開している。

日々仕事に追われている私、ビラ配りにも協力できなかった。
そんな私ができるささやかな貢献といえば、当blogに記事を書くことくらい、なのである。


当エントリのタイトルにさせてもらった「7.19町田倍増計画」の詳細については、↓のバナーをクリックしていただきたい。
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by kreis_kraft | 2009-07-14 00:37 | FC町田ゼルビア
FC町田ゼルビアvs流通経済大学(町田市立陸上競技場)

2-1(2-0)のホーム初勝利!
終了のホイッスルが鳴り響いた瞬間、思わず立ち上がり拍手。
周りを見ると、老いも若きもスタンディング、拍手と歓声を挙げている。
皆が待ち望んでいた瞬間、だった。

*

第2節の対ニューウェーブ北九州戦の敗戦(0-2)のあと、「必要以上に落ち込むことはないが」と題した記事を書いた。
しかしその後、ソニー仙台(0-2)・FC刈谷(0-3)・横河武蔵野FC(1-2)と4連敗を喫し、この期に及んで私はとても「必要以上に落ち込むことはない」などと落ち着いてはいられなくなっていた。
特にホームゲーム、FC刈谷戦の3点差をつけられての負けには、かなり、凹んだものである。
観客動員に少しは貢献したいと母を連れての観戦だったから、余計に辛かった。

真のサポーターになるためには、こうした試練も与えられなきゃならんのかと、暗然と過ごす夜も、何日かあった。
いまや全くの死語と化した「巨人・大鵬・卵焼き」。
考えてみれば、彼らは実に幸せで、気楽なファンだったと、うらやましくなる。
巨人・大鵬とも常勝をほしいままにし、黙っていても彼らは勝ってくれた。

しかしFC町田ゼルビアは横綱ではない。
ようやく幕下に昇格し、十両をうかがう位置まで辿り着いたお相撲さん、といった立ち位置にあるチームである。
すでに名声を確立したスターを応援する気楽さはないが、発展途上の者の試行錯誤を、身内のようにハラハラドキドキしながら見守っていく楽しさがある…と思いつつも、負けが続くとやはり悔しいし、こんなやるせない思いしか与えてくれないチームなど、いっそ見放してしまった方が楽かもしれないと考えることも時々、あった。

どんな形でも、勝利は、いい。
捧げた愛が報われたような気になる。自分は間違っていなかったんだ、といった思いに包まれる。
そして周りを見渡すと、思いを同じくする方々の、喜色に満ちた顔がある。

*

勝利が嬉しいのは、決してあなたたち選手だけじゃない。
周囲にこんなにも喜びを与えているのだと、その仕事に、よりいっそうの誇りを感じ、次々と立ち向かってくる難敵に対峙し、良い結果を残してもらいたいと念じています。

この初勝利が、ゼルビアのサッカーを思い出す契機になりますように…

* * *

ところで。
勝利の味、とは離れるが、ゼルビアのホームゲームの楽しみの一つが、充実したスタグルメ。
毎回何を食べようと楽しみにしているのだが、4月18日(土)には、ついにこんな屋台が登場した。
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トルコ風ハンバーガー「ケバブ」の屋台はお馴染みだが、ギリシャ風を謳った「スブラキ」は初めてである。
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むろん購入して食してみたが、これが実に美味しかったのである!
ラム肉しか使っていないと公式blogにはあったが、私がヨーロッパで味わったものに近いのはそのためだと合点がいった。
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サポーター諸氏よ、これは自信もってお薦めできる一品です。
ぜひ一度お試しあれ!

スブラキハウスさま、ゼルビアのホームゲームにこれからもずっとご出店下さい!
親類縁者、友人・知人を連れてきますので、ぜひとも~!!!
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by kreis_kraft | 2009-04-20 20:46 | FC町田ゼルビア
FC町田ゼルビアvsニューウェーブ北九州(町田市立陸上競技場)

JFLの厳しい洗礼を受けた一戦であった。0-2(前半0-1)というスコアのみならず、内容的にも「完敗」であった。勝てる気がしなかった。

最も目に付いたのは、相手の強く、すばやい寄せに翻弄され、簡単にボールを失ったこと。
そのために、後半の開始から10分以外、ゼルビアがゲームの主導権を奪うことはついぞ、なかった。
関東1部リーグの試合では、全くお目にかかれなかった展開である。これがJFLのレベルなのかと、「JFL昇格を果たした今年4位以内、来年Jリーグ入り」と、勝手に甘い夢を見ていた私、冷水をぶっかけられ、現実に引き戻される思いがした。

ペースを握れず、妙にバタバタしているゼルビアの選手たちを観たのは、初めてである。あれほどボールが落ち着かなかったのはなぜだろう?
キープしようにも、すぐに相手が身体を寄せてきたからだが、そんな局面ではボールを持っていない選手のサポートが不可欠のはず。
が、そんな動きが乏しかったように見えたのは、私だけだろうか。

*

ニューウェーブ北九州、すべての面で一枚も二枚も上手だった。
選手たちは、同じJ準加盟、それも昇格ホヤホヤのチームを打ち負かす意気込みに溢れ、はるか九州の地からやってきたサポーターたちは、絶えず声を出し続け、選手と同じように戦っているようだった。

率直に、今のところは、すべてにおいて完敗と認めよう。
JFLの先輩として、ゼルビアのみならず私にも、苦い良薬を与えてくれたと、お礼を申し上げたい気分である。
が、JFLの水にすっかり慣れた最終節、アウエーで、ゼルビアの選手たちは、このリベンジを果たしてくれると信じている。


この悔しさを心に刻んでおくため、あえてニューウエーブ北九州のゴール動画を貼っておくことにする。
敵ながらアッパレと感じながらも、深い脱力感を与えてくれた2点目である。


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by kreis_kraft | 2009-03-23 18:02 | FC町田ゼルビア