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by KK

板橋文夫ソロ&ミックス・ダイナマイト・トリオ+1@横濱ジャズプロムナード2008

ひとり舞台に現れ、挨拶を終えたあと、「まずはソロでビートルズナンバーを」と板橋さんがボソッと口にしたとき、私の心臓がトクンと、鳴った。

ピアノに向き合うなり、静まり返ったホール中に、板橋さんの、骨太の音が響きわたる。
フォルテとピアニシモの間を激しく、そして悠然と行き来するソロピアノ。
そして、ふと、「ヘイ・ジュード」のフレーズがひそやかに流れ出てきた瞬間、私の胸はある感慨に満たされ、たちまち目に涙が湧いてきた。

*

横濱ジャズプロムナード、関内大ホール、17時30分。
「板橋文夫ソロ&ミックス・ダイナマイト・トリオ+1」のステージの冒頭。
暗闇の中、一条のスポットライトに浮かび上がるのは、ピアノを前にした板橋文夫のみ。

ソロの「ヘイ・ジュード」の間、このひとときを絶対に忘れないようにしようと、私は耳に全神経を集中させ、ピアノを弾きながら激しく動く板橋さんの背中をひたすら凝視していた。

* * *

ビートルズの名曲中の名曲、「ヘイ・ジュード」。
板橋さん、そして板橋さんの人となりを知る者にとって、この曲は特別な意味を持っている。
そう、この曲は、板橋さんがフェイヴァリット・ピアニストとして名を挙げる、故本田竹曠が好んで演奏したナンバーだったのだ。

1970年代、共に渡辺貞夫グループで活躍し、この巨大な存在の薫陶を受けた本田竹曠と板橋文夫、実は国立音楽大学の先輩後輩の間柄。加えて師事したピアノ科の先生も同じである。

その頃(引用者注:国立音大生になった頃)O・ピーターソンのなどのレコードコピーなども少しやっていたが、もっと深くジャズに感銘したのは本田さんのピアノを学校の芸術祭で聴いた時だった。ピアノがこわれんばかりの強力なタッチとそのソウルフルな歌心に圧倒された。それからはもう寝てもさめてもジャズで、先輩の碇さんにバークレーの理論を習ったり、マッコイ・タイナーの『インプレッション』など聴きまくった。
板橋さん自身による『ライズ&シャイン』(コジマ録音 1976年)のライナーノートより引用したが、本田竹曠がいなければ「ジャズピアニスト板橋文夫」の誕生はなかったかもしれない。
4才年上の本田竹曠は板橋さんにとって、まさに、特別な存在だったわけである。


06年3月5日、本田竹曠が亡くなって約2ヵ月後、「追悼コンサート」が行なわれた。
渡辺貞夫をはじめとする数多くのミュージシャンが出演したこのコンサートで、最初のプログラムが、板橋さんのソロ。そして弾いた曲が「ヘイ・ジュード」だったとあとで知り、故人に寄せる板橋さんの敬愛の深さに目頭を熱くし、野暮用があって行けなかったのが、悔やまれてならなかったものである。
文字通り、歯ぎしりする思いだった。

* * *

それからおよそ2年半が過ぎ、聴きたくてたまらなかった「ヘイ・ジュード」を、目の前で板橋さんが、弾いている。
ただ、感無量であった。
この世からいなくなっても、本田さんのスピリットは、板橋さんによって確かに受け継がれている…そんな確信に包まれた、至福のひとときだった。

*

「ヘイ・ジュード」の熱演のあと、井野信義(b)、小山彰太(ds)のおふたりが登場し、「ミックス・ダイナマイト・トリオ」。沖縄の童謡「えんどうの花」が、よかった。
最後に外山明(perc)が加わり、白熱の演奏で終了。

しかし。
率直に言って、私はこのステージ、「ヘイ・ジュード」の衝撃があまりに強すぎて、その後は少々ボーッとしていたかもしれない…

このトリオ+1、ホールではなくどこかのライブハウスで改めて、聴きたいもの。
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by kreis_kraft | 2008-10-23 22:19 | ジャズ