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by kreis_kraft

追悼・本田竹曠

最初に、おことわりを。
いつから「竹広」と名乗るようになったのかわからないが、私にとっての本田は「竹曠」であって、「竹広」には違和感を覚えてならない。よってこの文章は「竹曠」と表記したいと思う。何一つ他意はないことをあらかじめ明記しておきたい。

* * *

かつて書いたことの繰り返しになるが、本田竹曠というピアニストは、私がジャズに身も心もどっぷりと漬かっていた頃の象徴ともいえる存在だった。

70年代後半、私も、意識が自分の方向しかむいておらず、重い鬱屈を抱え、あれこれ青臭い観念的なことを考えては深みにはまり、かといって現実に対して何をしていいのかわからず、ただ苛立ちばかり持てあましていた若者のひとりだった。一言でいえば「暗い文学青年」だったわけだが(自己弁護ではないが、当時はそんな若いモンは掃いて捨てるほどいたのだ)、私にとってジャズは、そんな閉塞状況を打ち破ってくれるようなものに映った。なにより、譜面通り演奏していないのが、よかった。最低限の決まりごとだけがあって、あとは個々の自由な発想が音楽に盛り込まれるというのが、新鮮だった。

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そんなわけで、私はすっかりジャズに夢中になってしまったものの、乏しい小遣いでは何枚もレコードを買うことができなかったので、FM放送のジャズ番組は非常にありがたいものだった。ほとんど「エアチェック」して、何度も何度も聴きかえした。FM東京で放送された、故油井正一氏の「アスペクト・イン・ジャズ」など代表的なものだが、あの頃録音したカセットテープが残っていたら、と時おり寂しく思ったりする。

しかし、私が一番悔しく思っているのが、あの「渡辺貞夫マイ・ディア・ライフ」を録音したテープが、手元に一本しか残っていないこと。カセットテープも高校生にとっては結構高価だったから、何度か聞いたらその上に重ねて録音したのだろうと思うが、かえすがえすも残念でならない。なぜならそれは、ただ力任せに思いのたけを鍵盤にぶつけるといった段階を経て、徐々に自己のスタイルを確立させつつあった本田が、当時アフリカに傾倒していた渡辺貞夫との出会いによって、瑞々しくその美質を開花させていった時期と合致するからであり、その意味で73年から78年の「マイ・ディア・ライフ」は、本田の成熟を捉えた貴重なドキュメントと言えるのだ。
(どこかに、あの音源は残っていないだろうか?あったらぜひ聴いてみたいものだが・・・)

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私は、本田の力強く、どこか土臭く、素朴なピアノが好きだった。飾り気がないアドリブが好きだった。メロディを奏でるというよりも、リズムに乗ってブロックコードを叩きつける演奏が好きだった。
ナベサダのアルトやフルートのソロはもういいから、早く本田のソロにならないかなぁなどと、大御所に失礼なことを考えながら聴いていたことも、しばしば。
あいまいな記憶ではあるが、トロンボーンの福村博が加入しクインテットになるまで、「マイ・ディア・ライフ」での本田のソロ・パートは結構長く、私は音ひとつも聞き逃すまいと、ヘッドフォンを手で強く押さえつけ(深夜0時からの放送だったので、とても大音量では聴けなかった)、番組終了時には、いつも耳が真っ赤になっていたものだった。

当然、レコードは目に付く限り、なけなしの小遣いをつぎ込んで買い求めた。trioからリーダーアルバムが1,500円という廉価で出ていることに狂喜し、すべて揃えて、繰り返し聴いた。この時期の代表作『ジス・イズ・ホンダ』は別格として、『浄土』『ザ・トリオ』『アイ・ラブ・ユー』の3作は、私が最も好きなピアノトリオという構成ということもあり、何度ターンテーブルに乗ったか、わからない。ことに『アイ・ラブ・ユー』のアルバムタイトルになった、軽快にスィングする「アイ・ラブ・ユー」、ブルース弾きの本領を十二分に発揮した「エマージェンシー」(『ザ・トリオ』)はどのくらい聴いたことか。

本田がサイドマンとして参加しているアルバムもほとんど持っているので、この時期の渡辺貞夫のレコードも、手元にある。特にモントルー・ジャズ・フェスティバルでの演奏を収めた『スイス・エア』のB面のソロには唸らされた。本田は当地で絶賛されたというが、それももっともと思える素晴らしい出来。
また、『ムバリ・アフリカ』(2枚組)の2枚目のB面に収められている「ハバリ・ヤコ」。東京での「渡辺貞夫リサイタル」を記録したものだが、よほど体調が良かったのだろう、ノリにノッた本田のピアノに、つい踊りだしたくなってしまう。

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こうして書いている間も、頭の中で本田のピアノが鳴っている。
そして、自然に彼のアドリブが口をついて、出てくる。
本田竹曠が生み出した音が、もはや私の血肉になっている証だろう。

私はピアノを弾くことはできない。
が、本田のピアノが雄弁に伝えてくる、生の鼓動、パルスというべきものを、俺は自分の文章に満たすんだと、気負いと共に心に決めた10代の初心を、私は絶対に忘れない。

* * *

ビートルズの曲を弾いても、スタンダードを弾いても、ブルースを弾いても、そして唱歌を弾いても、そこには必ず、あなたの息遣いが感じられました。
でも、私はあなたの忠実なファンではなかったと思います。渡辺貞夫のもとを離れ、「ネイティブ・サン」で人気を博すことになった時期は、当時のフュージョンブームに乗ったものとしか思えず、あなたまで流行を追うのかと冷たい目で見たりしていました。
『バック・オン・マイ・フィンガーズ』でアコースティックに戻ってきても、70年代の凄味が消えたなどと、軽口を叩いていた私は、本当のあなたのファンでなかったのかもしれません。

でも、あなたは、やりたいことを、やりたいときに、やったまで。あなたはジャズの自由を体現していたと、齢を重ねて私も、ようやくわかるようになった・・・その矢先の死が惜しまれてなりません。
私はちょうど2年前、「今なら『ネイティブ・サン』の諸作も、心から楽しめるような気がする」と書きました。今度どこかで見つけたら、聴きなおしてみたいと思ってます。

60歳という享年、早すぎて言葉もありません。
でも、幸いに私たちは、あなたの残したアルバムを、繰り返し聴くことができる。その意味であなたは決して死んではいない。
コンサート会場で、小さなライブハウスで、その時その場で生み出されたあなたの音に接する機会が永遠になくなったことは大きな悲しみですが、あなたが心血を注いでつむぎだした音、そして聴き手に喚起した想念は、ずっと残っていく。
いつまでも。

心から、ご冥福をお祈りします。



【追記】
本田竹広公式サイト」の掲示板によると、「追悼コンサート」の企画が進んでいるようです。
また、「jjazz.net」において、2月26日まで"温故知新~本田竹広スペシャル"が試聴できるとのこと。詳しくは掲示板をご覧下さい。
なお、当番組にて、私が触れた「アイ・ラブ・ユー」がプログラムに入っています。ぜひ御一聴を!


【さらに追記】
「YouTube」に本田さんの動画がいくつかUPされていますので、ひとつ貼り付けておきます。
私の好きな「朝日のようにさわやかに」。途中からというのが残念ですが、ありし日の本田さんの強靭なピアノ、聴きかえすだけでなく、見ることができるのは本当に幸せなことです。(2008年9月24日記)

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by kreis_kraft | 2006-02-02 00:54 | ジャズ